読書日記(ピック・アップ版)(平成22年)
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(最終更新:平成22年12月24日)
平成22年12月23日読了 大木孝「和光だより 刑事弁護教官奮闘記」(現代人文社)
司法研修所刑事弁護教官を3年間務められ、2010年3月に退官された教官の「メール集」。
86頁以下の「正規現象と病理現象」においては、研究者の日頃の活動のあり方と教育のあり方の相違について、少々考えさせられた。
「法律学は、そもそも真理を探求するものではありませんから、残念ながら本来、数学や物理学・化学などのいわゆる『科学』の仲間とは言えないのでしょうね。ノーベル賞の対象でもないし。
それなのに、実務上採用されない理論で、実務上登場しないレア・ケースを研究させても、学者の論文としてはいいでしょうが、実務家を目指すロースクール生には、あまり実益のない勉強になってしまいそうです。」
気をつけよう。
また、123頁の「研修所では、1つの講義のために、教官室で10回くらいの合議を重ねることは前に紹介しました。担当者が寝る間も惜しんで資料を作り、それをたたき台にして討論するわけです。ただ、そうして講義レジュメを完成させた場合でも、それはあくまでも、修習生の起案を見る前に完成しているものですから、よく言えば『網羅的』ですが、見方によれば実際の修習生起案の間違いや傾向などから若干外れたものになりがちだと思われます。
修習生の提出起案を見て初めて、多くの者が勘違いしやすい論点と、そうでもなくてだいたいの連中がわかっている論点とがわかり、力の入れ方を変えてメリハリをつけることができます。」では、司法研修所教官のご苦労が分かるとともに、授業のあり方にも示唆を与えている。
法科大学院制度が始まって今年で7年目である。開始当初は、完全ソクラテス・メソッドによる私の授業では、学生からの予想外の解答や質問があることがあり、その対策のため、授業の前日には、いろいろと想定してかなりの準備をせざるを得なかった。しかし、3年目頃からだいだい学生の間違えやすい点や質問の傾向などが事前にわかるので、先回りして言及したり準備することができるようになった。毎回異なる事案を利用して授業をされている司法研修所では、こうはいかないだろうが、新しい重要判例や論点を付け加える以外、基本的に同じ内容の授業をしている法科大学院の「特典」ともいえる。
なお、この本の記述から、著者が新62期の金沢修習の司法修習生が所属するクラス(新62期8組)を司法研修所の集合修習で受け持たれたことが分かる。金沢大学の修了者も含まれており、なにがしかの縁を感じた。
平成22年8月27日読了 星野英一「人間・社会・法」(創文社)
金沢大学人間社会研究域法学系に所属する者としては、読む必要があるでしょう。
平成22年7月17日読了 竹内久美子「女は男の指を見る」(新潮新書)
人間が動物であることを改めて思い出させてくれる。著者の数々の著書の最新情報がプラスされた総集編。
平成22年4月4日読了 地域経済活性化研究会「検証 過払い」(BKC)
それぞれにそれぞれの言い分があるという典型である。どちらが正しいかは、歴史が証明するとしかいえない。
平成22年1月16日読了 奥田昌道「紛争解決と規範創造−最高裁判所で学んだこと、感じたこと」(有斐閣)
「民法学者としては穂積重遠先生(昭和25年〜27年)以来、久々に最高裁場所入りされた奥田先生に、最高裁での生活や事件処理(紛争解決)を通じで体験し、考えたことを論じていただく随筆的考察書」を【基本コンセプト】として企画された(i頁)。私の専門が民法であることもあり、興味深く読めた。
「第2部 印象に残る事件と判決」では、日常的に読んでいる最高裁判決の「裏側(苦心)」もわかり、最高裁判決の「読み方」の指南ともなる。また、「第3部 これからの学者、法曹、学生に対するメッセージ」には、文字通り重要なメッセージが含まれている。例を挙げれば、「U 学者の論文、判例評釈について」では、民事裁判があくまで当事者の主張、請求に限定されること、「V 法科大学院と民法担当の研究者教員」では、民法担当者の過酷な負担や法学教育、研究者養成のあり方への問題提起、「「Y 法科大学院制度」では、現行の制度への疑問、……。当然のこととはいえ、今後、意識して考えていかなければならない。