ミシガン日記(2002年8月)
2002年8月31日(土)晴れーシカゴの中の日本
9月2日(月)がレイバー・ディの休日なので、それを利用してシカゴに行くことにする。出発時、電話は直っていなかった。
いったんホテルにチェックインして、「ミツワ」に出かける。そこでは、建物全体が日本であった。店員は「いらっしゃいませ」といっている。店員に日本語が通じる。品揃えは、日本のスーパーマーケットと同じである・・・・。
その後、同じ建物の中にある「旭屋書店」に行く。半年くらい見ていなかった日本語の本がずらり・・・・。価格は100円で1.3ドルと、今のレートでは日本で買うのと比べ1.5倍強するが、文庫を2冊買ってしまった(いつ読めるかわからないが、・・・)。レシートを見ると、この購入はファイナルであると強調してある。まあ、これは日本では当たり前のことだが、こちらではリファンドが当然のように行われていて、本屋も例外でない。よく行く近くの書店は30日以内であれば、未読の(これをどうやって判定するかは知らないが)本は返品できる。教科書も一定期日までならば。無条件でリファンドされる。しかし、旭屋書店はこれを認めないといっているのだ。ここは日本である!
シカゴ泊(アメリスウィート泊)。
2002年8月30日(金)晴れー「週休3日」進行中
秋学期が本格的に始まって初めての金曜日である。確かに昨日までと比べると人が極端に少ない。こちらの授業は、週2回の授業は、月・水の組み合わせか火・木の組み合わせで、かつ金曜日授業が極めて少ない。したがって大学に出てくる学生も少なくなり、人も車も少なくなる。いよいよ「週休3日」時代到来か。
本屋に行き、ファイナルのところで、17世紀の世界地図帳を見つける。オリジナル・プライスは60ドルだが、1ドルで売っている。思わず買ってしまった。
電話はいまだに直らない。
2002年8月29日(木)晴れーすごい!
大学の新聞によると、今期、84歳の新入生がいるそうだ。何でも、64年前の1938年(太平洋戦争もまだ始まっていない頃!)に20歳で就職。当時は就職難で、職があるだけでもありがたかったので、大学で勉強したかったが、仕事についたそうである。写真を見ると、60歳くらいにしか見えないおばあちゃんであった。私は、・・・84歳の頃は何をしているのだろうか。少なくとも大学に通ってはいない気がする。
またまた電話が壊れた。今回は我が家だけでなく、アパートの建物全体がだめになったようである。電話が壊れると、インターネットやメールができなくなるのがネックである。
2002年8月28日(水)晴れー日本人でもわからない
アパートの下と隣の部屋に住んでいる韓国人の子どもがカードを持ってきて、何が書いてあるのか教えてほしいという。見ると、日本のカードのようで、スーパーマーケットで買ったといっていた。「迎撃準備」「○○○(名まえ)」・・を何とか英語で説明していたが、中に「憑依する・・・」というのがあった。こんな単語知らない(私だけか?)し、英語でどういったらいいかわからない。辞書を引いたら、「のりうつる」というような意味らしい。
2002年8月27日(火)晴れー夜の重労働
妻が今日から夜の授業(といっても、夜間部ではない。そもそも昼間部、夜間部の区別がないが、夜に授業がある)をとった。時間は、6時30分から9時30分まで。当然、ナーサリーは終わっているので、自宅で子どもの世話をしなければならない。妻が準備していった夕食を食べさせ、妻の帰宅を待つ。途中から、妻の妹が遊びに(プラス手伝いに)来てくれて助かった。上の子は、妻の妹にべったりである。
2002年8月26日(月)晴れー新学期
小学校から大学までまとめて新学期が始まった。大学も今日から人と車で非常に混雑している。
これに関して1つ疑問。ナーサリーでは、今日から子どもは2人とも1つ上のクラスにかわった。しかし、前まで同じクラスだった子どもの中にクラスがあがらず、相変わらず、以前のクラスのままの子がいる。どうしてか理由がよくわからない。
2002年8月25日(日)晴れー「石川動物園」の方が大きいぞ
ミシガン州でかなり大きいといわれている動物園に行ったが、象もキリンもいない。代わりに私の嫌いな爬虫類がたくさんいた。これなら「石川動物園」の方が大きい。その後、チルドレン・サイエンス・センターに行く。こちらは、子どもが2人ともかなり楽しめた模様。順調に帰宅。
2002年8月24日(土)雨のち晴れーミシガン湖畔のグランド・ヘブン
ミシガン湖畔のグランド・ヘブンに出かける。上の子は、打ち寄せる波が大変面白いらしく、海水浴の準備をしていかなかったにもかかわらず実質的に水につかってしまったので、服がびしょぬれになってしまった。グランド・ラッピズ泊(ハミルトン・イン泊)。
2002年8月23日(金)曇りのち雨ーついに「3番」ゲットできず
マクドナルドのハッピー・ミールのおもちゃが変わり、ついに3番のゲットができなくなった。1番から6番までのおもちゃを組み立てると、1つの大きな昆虫になるのだが、3番はちょうど中心に当たり、これがないと「合体」できない。上の子は、このニュースに残念そうであった。
2002年8月22日(木)雨ー新学期最初の授業
秋学期は、「契約法」の授業に出ることにした。時間は、火曜日と木曜日の12時15分から1時30分までである。こちらでは、決められた「何限目」「何時間目」はなく、何時から何時までかが決まっているだけである。この授業は、日本でいえば「昼休み」あるいは「昼食時間」に設定されている。私は、以前からホームページで大学の時間割から「昼食休憩時間」をなくす提案を行っており、我が意を得たりという感じがする。皆が一緒に休み、一緒に昼食をとる必要はまったくない。授業が終わってから(2時前)に食堂に行くと、非常にすいていた。
2002年8月21日(水)曇りーナーサリーのスパゲティ・ディナー
ナーサリーで夕食にスパゲティ・ディナーをするということだったので、申し込んでおいた。ミート・スパゲティ、ミート・ボールにサラダ、ケーキが置かれ、各人で食べる。他の親ともう少し話ができればよかったが、子どもの世話に追われ、一生懸命食べて終わる。
ロー・スクールでは新学期が始まり、学生が戻ってきた。大学全体の新学期は、来週の月曜日から。
2002年8月20日(火)晴れーヒューマン・エコロジーの「ピクニック」
夕方、妻が所属しているヒューマン・エコロジー学部の大学院の入学ガイダンスにあわせ、「ピクニック」が開催されるとのことで、家族で出かける。「ピクニック」といっても、こちらでは、会議室のようなところで、軽食が出て、みなと話すのみ。中には数人の日本人発見。
その後、少し、夕食としては足りなかったので、5月にオープンしたニューヨークに本店がある店のフランチャイズ店に行く。ピザを注文してまあまあ。カプチーノはちょっと失敗(といってもまずいのではなく、ピザと一緒に飲むべき飲み物ではなかった)。
2002年8月19日(月)雨のち曇りーバス運行開始
今日から夏の間休止されていたバスの運行が再開された。先週、もらいに行って、まだ届いていないといわれたバス・パスをポリス・アンド・セイフティのオフィスにもらいに行く。めでたく交付された。これで、学内のバスは乗り放題となった。さっそく、夏の間は歩いていたマクドナルドまでの道のりの一部に利用。ただし、バスの再開に合わせて利用される予定だった「バスセンター」はいまだに建設中である。建設の進捗状況からして、本当に間に合うのか心配していたが、危惧が現実となった。
今日は非常に寒く、ロー・ライブラリーの勉強部屋は暖房がされていた。8月19日で暖房とは!!金沢ではありえないことではないか?
2002年8月18日(日)晴れー食い逃げじゃないって!
昼食を外食にした。こちらでは飲食代を払う場所が、大きく分けて2つある。ひとつは日本でおなじみの出口近くにあるレジスター、もうひとつは、食べた席である。大まかに見分けるには、請求書をファイルのようなものに入れて持ってくれば席で払い、請求書のみで持ってくればレジスターで払う可能性が高い。今日の店は、「裸」で請求書を持ってきたのでてっきりレジスターで払うものと考え、席にはチップのみを置いて家族全員が出口に向かって歩き出した。ところが、担当のウェイトレスがあわてて追いかけてくる。ここでは席で払うシステムだったらしく、「食い逃げ」と間違われた可能性がある。ただし、私が、請求額の細かい部分まで小銭を握っていたので、誤解はすぐに解けたと思うが・・・。とにかく、危ないところだった。
その後、レイク・ランシング公園に行くが、そこで、アメリカ人と結婚しこちらに住んでいる日本人女性と出会う。妻がしばらく話していた。
2002年8月17日(土)曇りー東方食品オープン
比較的近くに、「東方食品(オリエンタル・マーケット)」という店が最近オープンした。日本の食料品を多く取り扱っているとのことだったので、今日、行ってきた。確かに日本製品を多く扱っていたが、経営者が中国人ということもあり、中国、韓国のものもかなりあった。上の子は「コアラのマーチ」を喜んで買って帰った。
テレビを見ていて、9月14日から放送される「ウルトラマン」は「ウルトラマンティガ」であることが判明した。予告編によると明らかに登場人物は日本人なので、日本の放送の吹き替え版とみえる。日本で見ていなかったので、上の子は今から期待している。
昨日返却した本をコンピュータで検索すると、「返却」(Checked
in)に変わっていた。よかった、よかった。
2002年8月16日(金)曇りーブック・リターン・ボックス
メイン・ライブラリーで借り出した本を返しにいった。開館時間中であるにもかかわらず、返却はリターン・ボックスへ入れておけといわれる。借り出すときには、大学のIDを見せ、コンピュータに登録されるのに、返却するのはボックスに入れるだけであるから、「返していない」といわれると、返したことの証明はできない。このシステムは危なくないのか。ちなみに、帰宅する前、借り出していた本をコンピュータで検索したところ、いまだに「貸し出し中」(Checked
out)であった。
2002年8月15日(木)曇りー上の子、ナーサリーを休む
上の子の発熱は続き、今日はナーサリーを休む。
4ヶ月半を過ぎて感じるのだが、子どもたちのいっているところは、ナーサリー(保育園)というよりは、学校に近い。といっても、日本では0歳児が行く学校は変だから、今までナーサリーと呼んでいた。しかし、先日、下の子(当時0歳!)の成績表なるものが渡された。「ボール追いかけ」はよくできて92点だが、「チューブ通し」の欄にはコメントとして「本人は何をすべきかまだ理解していない」と書かれ、49点となっている(2人の先生の共同採点である)。そりゃそうだろう、英語どころか日本語だって理解できない子に何か「指導」するのは無理じゃないか。アメリカでは、日本の「幼稚園」と「保育園」の区別がないが、やっていることは、幼稚園に近い。
2002年8月14日(水)曇り、一時雨ーメイン・ライブラリー
ロー・ライブラリーになく、メイン・ライブラリーに入っている本を探しに行く。ついでに、クレジット関係の書棚を見てくるが、こちらは社会学者や経済学者がかいたものが多く、法律関係は、やはりロー・ライブラリーに多い。執筆中の論文に関係のある本を1冊借り出す。
ナーサリーに子どもたちをむかえに行って、家に入るとき、蜂に刺された。下の子を腕に抱き、上の子の手を引きながら階段を上っていた際、巣のそばに蜂が見えて危ないかなと思ったのだが、そのまま通り過ぎようとして被害にあった。とにかく、子どもたちでなくてよかった。
夕食に、先のたこ焼きパーティの際に知り合った日本人の女の子2人を招待。ほとんど子守りに来てもらったようだったが、上の子、下の子、喜ぶ。
寝る直前、上の子が発熱していることが判明。
2002年8月13日(火)晴れ、一時雨ー企業戦略
8月2日からマクドナルドのハッピーミールのおもちゃが新しくなった。全6種類あり、1つずつが、時計だったり、双眼鏡だったり、サン・グラスだったりしてそれぞれ遊べるが、全部そろえると1つの昆虫のように合体させることができる。先の旅行中、どうせならばと、マクドナルドで昼食を食べ、いろいろとそろえてきたが、3番だけはとんでしまった。どうやら、ミシガン州よりも、オハイオ州やニューヨーク州の方が先にいっているようで、旅行前に1番と2番、旅行中に4番、5番と6番をゲットしたものの、ミシガンに帰ると4番を配っていた。尋ねると、3番は終わったといわれる。先のプーさんシリーズのように、少し遠いがおもちゃが遅れているマクドナルドへ行くか・・・。
2002年8月12日(月)晴れー新入生、多し。
新学期にあたり、キャンパスに新入生らしき人たちの姿が増えてきた。インターナショナル・センターでは、インターナショナル・スチューデント・フェアなるものが開催されていて、各国からの新入生らしき人が、クレジット・ユニオン、ポリス、その他、新生活を始めるうえでのガイダンスを受けている。クレジット・ユニオンのブースでは、結構よさそうな時計兼計算機を配っていた。1つゲット。
2002年8月11日(日)晴れー無事到着
サイエンス・センターは、子どもから大人まで結構楽しめるところであった。特に、1歳の下の子もそこそこ遊べるプレイ・ルームがあるのには感心した。
帰りに、クリーブランドのダウンタウンを通り抜ける際、スタジアムの横を通った。ちょうど、インディアンスの試合が始まるところであった。
高速道路では、直前に追い抜いていった車が、100メートルほど前方でタイヤにトラブル。こちらでは、タイヤの表面が果物の皮をむくようにはがれるようで、高速道路では、はがれたタイヤの残骸が路肩に結構落ちている。それにちょうど見舞われたようで、タイヤの破片が飛んできた。その車は、徐々にスピードを落とし、路肩にとまったが、妻は、「タイヤが取れても、結構走れるものね」とのんきなことをいっている。ひとつ間違えば、大事故に巻き込まれるところだった。
2002年8月10日(土)晴れークリーブランド泊
エリー湖半のホテルに宿をとる。歩いて10分ほどのところにあるロックンロール・ミュージアムへ行く。とくにジョン・レノンのもの(楽器や生原稿、ベットなど)をたくさん集めてあるが、収集は大変だったろう。その後、サイエンス・センターへ行くが閉館後。翌日行くことに(ホリディ・イン泊)。
ナイアガラからクリーブランドへの移動の際、交通事故現場を2箇所見た。いままで、一般道では頻繁に見かけたが、高速道路では初めて。さすがに車がメチャクチャ。
2002年8月9日(金)晴れーナイアガラ・フォールズ泊
ナイアガラ・フォールズに到着。滝に一番近い宿。確かに大きい滝である。ガイドブックによると、カナダ側から見なければ、来た意味がないように書いてあるが、カナダ側へはいけないので、アメリカ側からのみ見る。まず、インフォメーションで地図を手に入れる。驚いたことに日本語のものあり(その他、ドイツ語、フランス語、スペイン語などがあった)、いかに日本人観光客が多いかわかる。アメリカ側もがんばっていて、川の途中までの橋を架け、なんとかカナダ滝をきれいに見せようとしている。この橋、入場料が1人50セント(我が家は子どもは2人とも3歳以下なので無料)。入場後、上の子が喉が渇いたというので、すぐ出る羽目に。出口で再入場の制度はないか訪ねたがなさそう。まあ、1ドルのことだし、と出場。ジュースを飲んでもういちど入場口へ。2人分、1ドルを渡して一旦入場するが、すぐに呼び止められ、1ドルを返してくれた。我々を覚えていたらしい。
霧の乙女号に乗船。滝の飛沫がかかるので、入り口でビニールの合羽を貸してくれる。太陽の方向がよかったのか、飛沫できれいな虹が出ている。滝つぼのそばでは、飛沫がすごく、霧雨の中といった感じ。揺れる船体に上の子は怖いといっていた。まあ、カナダ滝を間近に見られたのだか、ちょっと我慢してほしい。
公園内のバスに乗り、ゴート島へ移動。こちらは、乗り放題で大人1人4.50ドルだが、キャッシュのみ、リファンドしないと大きく書かれている。どうしてこんなに強調するのか、といぶかっていたが、乗車して納得。切符はなく、お金を払うと手首に腕輪のような紙を巻いてくれるのだが、バスに乗る際、これをまったく確認していない。特に後ろの車両には係員がいない!ということで、腕輪をしていない人がたくさん乗っている。これをみれば、お金を払ったのがバカらしくなって、リファンドを希望する人がいてもおかしくない・・・・。
夜は、10時からカナダ側で花火があがった。上の子は、音が怖いらしい(コンフォート・イン泊)。
2002年8月8日(木)晴れー少し早いが「盆休み」ーポート・クリントン泊
少し早いが、「盆休み」(アメリカにはない!!?)にすることにして、ナイアガラ・フォールズへ行くことにする。イースト・ランシングからいく場合には、通常、カナダを通って行く(車で4時間くらい)が、妻が文部科学省の在外研究員である関係で、国外に出られない。仕方がないので、アメリカ国内を大回りして行く(車で9時間半くらい)ことにするが、1歳の子どもをつれているので、1日にそれだけ走るのは無理と判断。結局、ほぼ中間地点で、往路、復路とも宿泊することにする。結局、行きは、ポート・クリントン、帰りはクリーブランドで泊まることに決定。
ということで、今日は、ポート・クリントンまでの旅となる。ポート・クリントンにはサファリ・パークがあり、そこへ行く。まず、豚のレース。その後、上の子は、駱駝とポニーに乗り(いずれも無料!)、蛇と写真を撮る。こちらの子どもは、自分で持ったり、首に巻いたりして写真を撮っていたが、上の子は、蛇を怖がり、蛇を持っていたお姉さんに蛇を持ってもらって写真におさまった。このお姉さん、見かけによらず只者でない。上のこのポニーをひいてくれたのも、このお姉さんだった。下の子は、蛇年ということもあり、乳母車に乗ったまま、再びお姉さんと一緒に写真を撮った。サファリパークの方は、羊、バイソン、キリン、シマウマなどいたが、サファリ定番の猛獣がおらず、すこし拍子抜け。宿は、エリー湖畔(コンフォート・イン泊)。
2002年8月7日(水)晴れーフォール・セメスターの準備
8月21日から始まるフォール・セメスターに向け、準備を始める。受講予定のクラスの教科書を購入するが、メチャクチャ高い。こちらでは、学生は、使用済み教科書を売ってしまうので(店によっては、買い取り価格50%を保証している)、またお金に換えるのだろう。高いだけでなく、大きいし重い。持ち運びに不便だが、学生たちはリュックに入れて歩いている。
2002年8月6日(火)晴れー選挙
日本では広島の原爆の日だが、こちらでは今日は選挙の日であった。火曜日に選挙というので、仕事はどうなるのだろうと思うのだが、大学内も、結構、閑散としていた。選挙は、州知事の、民主、共和各党の候補者を選ぶ選挙であった。大統領選挙もそうだが、政党がメチャクチャな日本では、この方式は採用できないだろう。
夕食に、妻が留学しているヒューマン・エコロジー学部に留学中の大学院生2人を招待。またまた子どもたち、喜ぶ。
2002年8月5日(月)晴れーカード、カード!
クレジット・ユニオンのチェック・カードが届いたので、クレジット・カードを解約するため、クレジット・ユニオンのブランチを訪ねるが、解約するためのフォームもなく、1枚の白紙に解約したい旨を書いてサインをしろという。ほんとにこれでいいのかと、その場では保留し、少し離れたメイン・オフィスに行くことにする。結局、メイン・オフィスでも同じことをいわれ、カードを渡して解約手続きを終了する。
ちなみに、こちらではカードは普通郵便で送られてくるが、セキュリティは電話によるアクティベイト方式によっている。つまり、カードを受け取ってから、定められた番号に電話して初めてカードが有効になる。前のクレジット・カードでもそうだったが、この手続きは、電話をかけ、カード番号を入れるとそれで終了する。名前や生年月日など、本人を特定するような情報は何も入れない。それでは、他人が勝手に盗んで電話をかけ、カード番号を入れても(番号は、カードにエンボスされている)同じではないか、という疑問が残る。妻がこの点を不思議がり、メイン・オフィスで聞いてみた。すると、かけてきた電話の電話番号で確認しているとのこと。公衆電話や携帯電話など登録された電話番号ではない電話からアクティベイトしようとした場合だけ、オペレイターがでて個人情報を確認するようだ。納得、納得。
2002年8月4日(日)晴れーチップの額?
昼食にデニーズへ行った。1歳の子どもをつれているので、外食はファミリー・レストランかファースト・フードが多くなる。
ウェイター・ウェイトレスがいる店では、チップが必要である。ガイドブックには、飲食代の15%から20%を置くと書いてあるので、いままではその間で、きりのよい額を置いていた。しかし、周りを見ていると、必ずしもそうではなく、2人で1ドルとか、まったくチップを置かずに帰る人もいる(クレジット・カードで支払う場合は、チップもカードで支払うが)。我々のチップは多すぎるのか?
夕方、週末にキャンプに行っていた日本人のグループの人たちの一部が、少しの間、遊びに来てくれた。上の子は、大変、喜んでいた。
2002年8月3日(土)晴れーインガム・カウンティ・フェア
イースト・ランシングが属するインガム・カウンティのフェアが、車で40分ほどのメイソンで行われた。「特設遊園地」と農業フェアだった。
遊園地の遊具は、すべて仮設のもので、ジェット・コースターから観覧車まで仮設なのはびっくりした。コーヒー・カップは故障していた。妻と上の子は、1日乗り放題の券を買い、いろいろと乗った。上の子は、「もう2度と、ジェット・コースターには乗りたくない」といっていた。
また、農業フェアでは、羊にじかに触れるコーナーがあったり、牛、豚、鶏などセリが行われていた。子どもたちは、間近に動物をみて喜んでいた。
2002年8月2日(金)晴れージャズ・フェスティバルへ行く
夕方(というよりは、7時だから、本当は夜といったほうがよいかもしれないが、とにかくまだ明るい)から、ランシング・オールド・タウンのジャズフェスティバルへ行く。道で子どものクラッシック・バレエ?や特設ステージのジャズ・コンサートが行われていた。
2002年8月1日(木)晴れーやっと電話再開
帰宅してみると、やっと電話が直っている。子どもが寝た後にさっそく電子メールをチェックすると、普段はあまりない新着メッセージがたくさん入っている。マーフィーの法則(古い!)。