ミシガン日記(2002年7月)


2002年7月31日(水)晴れ−電話が切れた!
 電話の修理が頼んであったが、今日、帰宅してみると、雑音どころか、電話がウンともスンともいわない。完全に切れてしまったようである。仕方がないので、携帯電話からハウジングに電話した。月曜日に修理に来たが直っていないなど事情を説明すると、電話会社に連絡するので7時頃もう一度電話しろという。しばらくすると、再びひどい雑音とともに電話がつながった。今度は、こちらの電話からハウジングに電話すると、修理は明日以降になるという。電話が使えないと、インターネットや電子メールが使えない。これが一番困る。
 ここの図書館は、開架式で、一旦書棚から取り出した本は、いたるところに置いてあるカートに入れればよいことになっている。確かにこの方式はマン・パワーさえあれば合理的である。下手なところに戻されると、資料が行方不明になってしまうからで、そうなるくらいなら、放置されたほうがよい。ここの図書館は、棚に戻す作業をアルバイトの学生がやっているようなのだが、夏休みでいないのか、昨日放置された本が今日も放置されたままだった。こうなると、書棚にない本は、どこにあるのかわからないのだが・・・。


2002年7月30日(火)晴れ−ダンスの代わりに畑
 上の子は、先週に続いてダンス教室には行かず、代わりに先日、野球観戦やたこ焼きパーティーを一緒にやったお兄さんに畑に連れて行ってもらった。なんでも、その畑は、大学が無料で貸してくれて、種も無料でくれるそうである。ダイコン、トマト、ほうれん草などをつくっていて、青梗菜の種は日本から持ってきたそうだ。上の子は、青梗菜を少し収穫させてもらい、喜んで(泥だらけの長靴とともに)帰宅した。
 今日から、また、かなり暑くなった。


2002年7月29日(月)曇り時々雨−電話線の修理
 電話の調子が悪い影響は大きい。インターネットにつなげないと電子メールも使えないので、朝一番、ハウジングに電話する。ノイズが出ているというと、見に行くという。待っていても、なかなか来ない。11時頃にやってきた。電話のジャックと線を取り替えたが、あいかわらずノイズが出ているので、電話会社に連絡しておくといって帰っていった。
 書店で本を買った。クレジット・カードで支払ったのだが、価格が5.98ドルと表示されているにもかかわらず、6.98ドルの伝票になっている。その場で指摘すると、もう一度5.98ドルで打ち直し、もう一度、サインしろという。サインした上で、6.98ドルでサインした方を破棄してくれといっても、消去してあるから問題ない、こちらの伝票は必要だからといって、破棄してくれない。私は、日本で「消費者法」の授業をしているが、このような場合、必ず、間違った伝票だが、サインしてしまった伝票は破棄してもらうようにいっている。なぜならば、伝票にサインがある以上、請求が可能だからだ。したがって、私の場合6.98ドルの方(消費税を含めて7.40ドル)を請求されても、カード会社に対しては異議を申し立てられない。面倒なことになるかもしれないとは思ったが、店の方も、伝票が必要であるというだけで、これ以上どうしようもなかった。またまた「勉強代」か?
 MSUの新聞によると、今年度MSUへの寄付が202ミリオン・ドル(現在の為替相場で、242億円程度)になり、全米でトップ・テンに入ったそうだ。アメリカでは、大学への寄付が盛んで、予算に大きく貢献している。寄付者は、寄付すると、名前が残される(私が毎日使っている図書館でも、部屋ごと、机ごとに寄付者の名前を記したボードがついている)。日本でも同様のことが望めないものか?


2002年7月28日(日)雨のち曇り−コンピュータ・ラボ
 ここ数日、家の電話の調子が悪く、ノイズが出ていた。それでも何とかインターネットにつながっていたのだが、ついに今日はつながらなくなってしまった。上の子は、インターネットが好きで、よく使っているのだが、できないので、アパートのそばにあるコンピュータ・ラボへ行く。私のユーザー名とパスワードを打ち込んでコンピュータを立ち上げたが、ログ・イン中のことはすべて責任を負えと書いてある。子どもが見たいページへ行くと「ショックウェイブ・プレイヤー」がないので見れない。しかたがなく、そこから担当者に電話をして「ショックウェイブ」をインストールしてもよいかを確認すると、ソフトは何でもインストールしてよいといっている。ホントかいな。メチャクチャ立ち上がりが遅いのはそのせいか?
 上の子は、40分程度インターネットをしたが、夕ご飯ができたコールがあり、後ろ髪を引かれながら、やめなければならなくなった。ログ・アウトにこれまたメチャクチャ時間がかかった。ログ・イン中のことはすべて責任を負わなければならないが、まあいいだろうと、途中でコンピュータ・ラボを後にした。


2002年7月27日(土)曇り時々雨−日本人の「たこ焼きパーティ」
 前に野球を一緒に見に行った人から、夕食に「たこ焼きパーティ」に誘われていた。上の子は、非常に喜び、それ以来、「たこ焼き」「たこ焼き」と叫んでいた。こちらに長く住んでいる人がたこ焼き用の道具を持っていてたこ焼きを焼き、その他、焼肉、チップス、ぶどう、チェリーなどが持ち寄られた。我が家は、おにぎり、酢の物、スイカ、メロンなどを提供した。それに、スーパーマーケットで80ドルで購入したというアイスクリーム製造機でつくった抹茶アイスクリームを持ってきた人もいた。
 アンダー・グラジュエイトの女の子や、旅行できていたそのお姉さん、語学研修に来ている高等学校の先生など、いろいろな顔ぶれであった。アンダー・グラジュエイトの女の子になぜ日本でなくアメリカの大学を選んだのかを尋ねると、日本の大学へ行くと(少なくとも彼女は)入学時よりも卒業時の方が学力が落ちると思ったからといっていた。日本の大学の先生としては耳が痛い話しではあるが、私自身は、学生がそうならないようにがんばっているつもりである。高校の先生は数学の先生だが、帰国後は、生徒に数学を英語で教えることになっているそうだ。こりゃ大変だ。


2002年7月26日(金)雨のち曇り−ビジネス・ライブラリー
 ロー・スクールのむかえがビジネス・スクールである。コンピュータで検索すると、私の研究関連の本がいくつかビジネス・ライブラリーに入っているので、いってみることにするが、よく考えたら、ロー・ビルディングの地階がビジネス・ライブラリーであった。デトロイト・カレッジ・オブ・ローがミシガン州立大学と提携する際、このようになったらしい。ということで、いつもいるビルの地下にいってみると、結構、法律関係の本も多い。再びよく考えたら、デトロイト・カレッジ・オブ・ローが提携する以前にはミシガン州立大学にロー関係の学部はなかったわけで、ビジネス・スクールがその一端を担っていたのだろう。1冊借り出し、必要な部分をコピーし、すぐに返した。


2002年7月25日(木)晴れ−水道工事
 今日は、ロー・ビルディングの水道工事で、一日中水が使えず、トイレも別のビルのものを使わなければならないので、自主的に休みにして、車のエンジン・オイルを交換しに、フォードのディラーヘ出かける。車を購入した際、車の整備記録など詳しく聞いていないので、前にいつオイルを換えたのかわからない。購入してからちょうど3000マイルほど走っているし、換えごろだと思った。ついでにトランスミッション・オイルの点検もお願いする。交換後、こころなしか車の加速がよくなったように感じたが、よく考えると、今日は涼しく、クーラーをかけていないからかもしれない。


2002年7月24日(水)晴れー日本食堂
 車で20分ほどのところに、いかにも「日本食堂」といった感じの店があり、昼食にいってみた。寿司から、丼もの、定食弁当などのメニューに加え、かかっている音楽は北島三郎などの演歌であった。店員も日本語が通じた。


2002年7月23日(火)晴れーついにダンス教室休む
 上の子は、ついにダンス教室に行きたくないといい、最初から行かなかった。家では活発なのだが。
 ロー・ビルディングの近くのドームが改修されていて、新学期にあわせて再び使用される。今日、その工事終了の式典が行われた。テレビのニュースによると、非常に豪華な改修だったようで、1年以上かけているのだが、費用が1200万ドルとは・・・。
 ミシガン州立大の現学長が、学生のころそこに住んでいたとのことで、他の元住人らとともに式典に招待されていた。なんでも、学長は学生のころアルバイトでそこの食堂のテーブルを時給1.15ドルで拭いていたそうである。その人が現在、学長として1日あたり216000ドルを稼ぎ出しているそうだ(もちろん、個人の収入ではない)。
 少し涼しくなり、過ごし易くなる。


2002年7月22日(月)晴れー体重が減った?
 下の子の1歳検診に出かける。健康に何ら問題はないが、4月と比べて体重が減っているので、6週間後にもう一度くるように言われる。まあ、栄養状態も問題ないし、飢餓でもないから、4月と比べて体重が減っているのは、速く這うようになったこと、つかまり立ち・支え立ちができるようになったこと、というような、要するに活発に動くようになったからでしょうといわれたが。その後、予防注射を3本して帰る。
 ちなみに、領収書をみると、こちらに来てから主に健康診断、予防注射でこの小児科に支払った金額が800ドルを超えていることがわかる。10万円程度だが、日本にいればすべて無料なのに。こちらに来るときに掛けてきた保険も、健康診断と予防注射は適用外だといわれた。ナーサリーの費用が週318ドル。子どもにはお金がかかる。


2002年7月21日(日)曇り一時雨ー上の子、蜂に刺される
 買い物に出かけようとしていると、先に外に出ていた上の子が大声で叫びながら家に戻ってきた。蜂に刺されたという。見ると、足を2箇所蜂に刺されている。めちゃくちゃ痛いらしく、大声て泣いている。妻が、毒を吸いだしてやるが、結構はれている。夕方、薬を買い、つけておいた。お風呂でもまだ痛いといっていたが、何とか直りそうでよかった。
 午前中に行ったリサイクルでは、今まで受け入れられていた豆腐の容器やヨーグルトの蓋がダメだといわれた。なんでも、「ナンバー2」のカラード・プラスチックでもボトルでないとダメだそうである。こちらでは人によっていうことが違うとよくいわれるが、本当にそうだ。


2002年7月20日(土)晴れー気球フェスティバル
 車で1時間ほどのところにあるジャクソンの飛行場で気球フェスティバルがあるという情報を得たので、行ってみる。到着したのは11時頃だったが、気球は、朝、7時に飛び立ったそうで、気球はおらず、飛行機が航空ショウのようなことをやったり、テントの中で催しが行われたりしていた。下の子は、ピエロに抱っこしてもらって写真を撮る時、号泣し、その後、ピエロがそばに来るたびに泣いていた。
 土曜日の朝は、FOXテレビで子ども番組をやっているが、9月14日からの新番組にウルトラマンらしき映像が映っていた。上の子はウルトラマンが好きなので、今から期待している。


2002年7月19日(金)曇りーいろいろある
 妻の妹と話していて、妻の妹が持っている「VISAカード」と我々が持っている「VISAカード」の仕組みが違うことがわかったので、クレジット・ユニオンで見てみると、実は、クレジット・ユニオンは4種類の「VISAカード」を出していることがわかった。確かに、こちらでは消費者が一般に普通に小切手を使うなど、金融面で日本とは違いがあり、クレジット・カードの側面でも銀行がそのままカードを発行するなど、日本の制度と異なる点が多い。私は、こちらに来てからかなりこの関係の文献を読んでいたのだが、「VISAカード」はクレジット・カードという思い込みがあった。迂闊だった。妻の妹の持っている「VISAカード」は単に小切手代わりのカード(チェック・カード)だが、我々の持っている「VISAカード」は純粋のクレジット・カードであったのである(見た目はそう変わらない。チェック・カードには小切手の絵が書いてある)。我々は、最初から「クレジット」(高い金利を取られる)を使うつもりはなく、ただ「VISA]だけ使いたかったので、妻の妹の持っているカードの機能で十分である。そこで、後でクレジット・カードを解約する予定で、チェック・カードを申し込んだ。


2002年7月18日(木)曇り一時雨ー足止め
 昼食を食べに外に出たが、食べている最中に雨が降ってきた。傘は持っていない。こちらの雨はすぐにやむことが多いので、ほとんどの人は傘を持っていない。私も、少し待てばやむと思い待つことにしたが、いっこうに止まない。結局、1時間以上足止めされた。
 家に帰ってから子どもと遊んでいると、子どもの持っていた本の角が右目に当たった。大変なことになったかと思ったが、かなり充血しただけで済んでいる。日本ならすぐに医者に行くところだが。
 今日はついていない。


2002年7月17日(水)晴れーイン・ロック
 朝、子どもたちをナーサリーへ送っていった時、車の鍵をイン・ロックしてしまった。いろいろ悪条件が重なった。
 1.普段は妻が送っていくのだが、その日は妻の体調が芳しくなかったため、私が一人で送っていった。
 2.いつも子どもの歌のテープをかけながら走っているが、上の子は歌がちょうど終わるまで聞きたがるので、停車した後も、エンジンをかけたままであった。ちなみに、子の車は、キーの位置が、上から、「スタート」「オン」「オフ」「ラジオ・テープ」となっており、走ってきたときは、一旦オフにしないとテープが聞けないので、エンジンをかけたままにしていた。
 3.下の子がチャイルド・シートに座りながら靴下を脱いでしまうので、乗せたときに脱がせておいた。それを停車してから履かせていた。
 4.下の子の靴下を履かせているときに、歌がちょうど終わったので、エンジンを切った。キーは抜かなかった。
 5.履かせ終わって、下の子を抱え上の子とともに横のドアから降りた。ちなみに、この車はイン・ロック予防装置が着いているが、運転席のドアのみ有効である。
 私は、日本で20年くらい車を運転しているが、イン・ロックしたことはない。まあ、今は、日本でも運転席から降りている限り、警告音が鳴るから余程のことがない限り、イン・ロックはしないようにできているのだが。今後は、このようなことがないように、運転席のドアから降りるように気をつけよう。
 鍵は、妻が歩いて持ってきてくれた。今の時期は学期休みのため、バスの本数も少なく、タクシーも頼んでから時間がかかるといわれ、仕方がなく「一時間半も」歩いてくれた。感謝。


2002年7月16日(火)晴れーほんとかいな?
 下の子の熱は下がり、ナーサリーに復帰する。1歳検診のため、小児科を予約しようと出かけるが、ちょうど前の道路を工事していて、通行止めになっている。反対側から入れないかと、大回りしていってみるが入れない。元に戻って、工事の人に小児科に行きたいというと、入ってよいという。最初から頼めばよかった。
 このごろめちゃくちゃ道路工事が多い。日本では、年度末になると予算消化のため道路工事が多くなるというが、アメリカの予算の年度末はいつだ?確かに学校の年度では、今は年度末だが。
 大学の図書館で本を検索してブラウザを閉じると、突然、「You are today's winner! 」という表示が出た。1100ドルと3泊4日の旅があたったので、4分以内に電話しろと、電話番号とキー・ナンバーが表示されている。1100ドルといえば結構なお金なので、ちょっとだけ迷ったが、いわゆる悪徳商法だと妙なことに巻き込まれるかもしれないので、結局、電話するのはやめた。ほんとかいな?


2002年7月15日(月)晴れー誕生日なのに
 今日は下の子の誕生日であるが、朝から熱を出し、ナーサリを休む。ナーサリーでは、誕生日会が催されるはずであるが、主役が休むとどうなるのだろう。


2002年7月14日(日)晴れー高いぞ
 昼間、地元にできた新しいプールを見に行く。さすがにおむつをしている子どもが入れそうなプールではなかった。
 夕方、ランシングのフェスティバルの最終日ということで、臨時設置の観覧車を目当てに出かける。この観覧車は、前日、球場から見えたが、回転がものすごく速く、面白そうだった。例によって、民間の駐車場に車を駐車し、入り口まで歩いていくと、入場料が1人25ドル、3人で75ドルに上ることがわかった。事前の調査をせずに思いつきできたのが失敗だった。おそらく観覧車に乗るのにもお金を取られるだろうから、観覧車が1万円では高いと思い、結局、川沿いを散歩し、レッド・ロブスターで夕食を食べて帰ることにした。駐車代3ドルは、十分な下調べが必要だという教訓を得るための「勉強代」となった。


2002年7月13日(土)晴れー野球観戦
 夕方6時集合で野球観戦に出かける。初対面の日本人の中に、高校で1年下の同窓生がいた。世の中は狭いものである。この「ミシガン日記」を読んでおられて、先方から同じ高校ですよといわれた。メンバーは、主にケミストリーで働くポス・ドクの人、日本の高校の先生、地元のカレッジの先生などである。
 予定していた球場の近くの駐車場はいっぱいで、少し遠いが民間の駐車場に車を駐車できた。7時試合開始であるにもかかわらず、日はまだ高く、マウンド方向がまぶしい。また、日本に比べネットがほとんどないので、ファウル・ボールに注意が必要である。試合は、地元のランシング・ラグナッツ(シカゴ・カブス傘下・1A)対ビジター(相手チームがどこだか最後までわからなかった。ちなみに、スコア・ボードも先攻は「Visitor」、後攻は「Lugnuts」で不変。他は電光掲示なのにである。帰ってから新聞で確認すると、フォート・ウェイン・ウィザーズであった)で、前半の展開では負けゲーム(いきなり地元民?観客ほぼ全員がラグナッツの応援団でかなり熱狂的な人もいる)かと思ったが、相手チームのタッチ・アップの離塁が早くアピールでアウトになってから流れが変わり、後半、ホームランなどで結局9対3でラグナッツの勝利に終わった。
 こちらでは、ファウル・ボールでスタンドにはいったものは、ずべて観客にプレゼントされるので、子どもから大人まで、ファウル・ボールのゲットに燃えている人もいる。上の子もほしい年頃だろうと、一緒に行った「お兄さん」がファウル・ボールが飛んできそうなところへいろいろと位置を変えながらゲットを試みてくださったが、なかなか果たせなかった。それではと、今度は、上の子を連れてフィールドへの最前列に陣取り、がんばっていると、グランド内でファウル・ボールをキャッチした選手が、上の子を見てボールを観客席に投げ入れてくれた。「お兄さん」はそのボールを見事にゲット。かくして、上の子は野球観戦1回目にしてファウル・ボールをゲットして帰宅したのであった。一生、通い詰めてもだめな人もいるだろうに。世の中を甘く見るようになると困るが・・・。そのボールは家に転がっている。
 また、こちらの野球はいろいろなイベントがあり、いきなりホームベース付近で実際にプロポーズが始まったり(めでたく承諾されたようである)、ホットドッグやTシャツのプレゼント(観客席に打ち込まれる)、試合終了後の花火(球場内であげているようで、日本なら間違いなく消防法違反ではないかと思う)など、野球以外も含めたエンタテイメントといった感じであった。


2002年7月12日(金)晴れーフォークの街角コンサート
 クレジット・ユニオンに貼ってあったポスターで、毎週、金曜日と土曜日の夜に、いわゆる街角コンサートが開かれていることを知る。大学のそばで、家からも近いので、行ってみることにする。今日は、フォークの番だった。上の子は、夕食に食べた蕎麦が辛かったか、着くなり何か飲みたいと言い出し、アイスとジュースを買って、もう一度、聴きに行く。まあまあ。
 家に帰ってくると、近所に住む日本人の人から、明日の夜の野球観戦に誘われる。ゼロ歳児がいるから無理ではないかといったが、他にゼロ歳児を連れて行く人もいるからといわれ、行くことにする。
 ちなみに今日は初めて昼食に日本料理店に行き、寿司とてんぷらを食べる。まあまあ。
 また、デポジット制度についてあらたな発見。来た当初、ラベルの取れたペット・ボトルは機械が受け付けないので、もう返せないと思っていたが、先日、係りの人に渡して返金してもらっている人を見た。それならばと、われわれも今日やってみたが、めでたく返金してもらえた。ただし、機械に入れるときにははずさなければならないキャップを見ていたから、キャップからデポジットのものか否かを判断した模様。


2002年7月11日(木)晴れー隣人の自転車、危機一髪
 朝、外を見てみると隣人の自転車がない。現在、隣人(韓国の人)は、長期の旅行中ですでに2週間程度、留守にしている。盗まれたか、と思ったが、階段の下に放置してあった。おそらく盗もうとして階段の下まで持っていったが鍵がかかっていたので、諦めて置いていったのだろう。そうだとすると、深夜、我が家の前を自転車を抱えて誰かが通ったはずなのだが・・・。結構、安全には気をつけなければと、再認識する。自転車は元の位置に戻しておいた。


2002年7月10日(水)晴れー久しぶりに
 久しぶりに、上の子がナーサリーに行くのを嫌がる。


2002年7月9日(火)雨ーダンス教室なのに
 上の子が楽しいだろうと、以前にダンス教室を申し込んでおいた。その初日が今日だったのだが・・・。数人の子どもとともに教室が始まったが、上の子は、参加したがらず、母親の手を握ったまま、「見てるだけ・・・・」。まあ、英語がわからないからある程度は仕方がないが、見よう見まねでできるだろうに。家に帰ってから、インストラクターがやっていたように飛び跳ねていた・・・。典型的な内弁慶か?
 夜、メジャー・リーグのオールスター・ゲームをFOXテレビで中継することになっていたので見る予定だったが、すっかり忘れていて、途中から見ることになった。イチローはすでに交代していて、佐々木が打たれて同点になり、延々と続きそうになったので、途中で消して寝ることにした。
 今日は、めちゃくちゃ久しぶりに雨らしい雨が降った。芝生から草花、大木に至るまで潤ったことだろう。 


2002年7月8日(月)晴れーそんなバカな!
 図書館の本をコピーするため借り出すとき、コンピュータの登録上、現在借りている本はないはずだがと確認すると、1冊借りていることになっているといわれる。私は、こちらでは、基本的に、図書館の本は、一旦借り、必要なところをコピーして、その後、同じ日にすぐ返してきたので、そんなはずはない、私は借りていないといったが、このIDで1冊借りていることになっていると繰り返されるばかり(ちなみに、サーキュレイションの担当は、学生のアルバイトである)。困って、その本のタイトルをたずねても、パスワードを持っている人でなければわからず、その人は現在不在であるといわれる。それでは、借りた日はとたずねても、わからないという返事のみ。仕方がなく、その人の帰りを待つことにする。
 担当者が帰ってきて調べてもらうと、タイトルがわかった。それなら返したというと、確認もせずにあっさり消去してもらえた。図書の返却遅れにはかなり厳しいサンクションを科しているにもかかわらず、けっこういい加減である。


2002年7月7日(日)晴れー「詰め物」とれる?
 朝起きたとき、歯が痛い感じがしたので、鏡で除いてみると、詰め物がとれているようだ。困った。こちらに来る時に掛けてきた保険は歯科治療は適用除外である。日本に帰るまで我慢するか?
 午後、大学の博物館へ行く。恐竜の骨や大きな熊の剥製など、上の子はけっこう楽しめた。その後、学内の昆虫ハウスへ行くが、こちらは日曜日は休みであった。


2002年7月6日(土)晴れーヘンリー・フォード博物館と高速道路
 こちらに来て初めての遠出で、デトロイトのそばのヘンリー・フォード博物館へ行く。車、機関車の展示から、公園内の機関車乗車、メリーゴーランドなど、上の子はけっこう楽しんで帰ってきた。
 移動は高速道路を使ったが、いろいろと問題点が多い。第1に、車がボロイので、故障車がたくさん路肩に止まっている。往復で数え切れないくらい路肩に止まっている車を見た。その中にはタイヤのとれた車2台を含む。1台は、われわれが通過する直前にタイヤが取れたらしく、停車した後方にまだタイヤがころがっていた。また、前方を走っている車がふらついたと思ったら(隣の車にぶつかりそうになった)、急に路肩によって停車した。故障だろう。とにかく、ボロイ車が多いので危ない。タイヤが取れるのは、こちらの人は、なんでも自分でやるから、当然、タイヤ交換も自分でするからだろう。ナットの締め付けが不十分だと・・・。
 第2に、道が悪い。主に走った高速道路の制限時速は70マイルであった(常時、75マイル程度で流れているが)。70マイルは110キロを超えているが、道が悪いので、車にかなりの衝撃がある。日本だったら、全面通行止めで改修工事をするところだ。これも、車がボロくなる一因か。
 第3に、概して運転が下手である。こちらでは、いとも簡単に自動車の運転免許が取れる。ということは、下手なドライバーがたくさん運転しているということだ。まあ、自動車に乗らないと生活できないからしかたがない面もあろうが、他人にも迷惑である。困った困った。ちなみに、こちらに来て4か月ほどになるが、一般道で事故処理現場に通りかかったのは数知れず。ただしほぼ物損だけのようだが。それだけ、事故が多いということか。
 第4に、アメリカの運転マナーがよいというのは、間違いではないか。割り込み、合図をしない右左折、車線変更、信号無視・・・・。なんでもあり。私は、車間距離を多めにとるほうなので、特に割り込まれる(これは日本でも同じか・・・)。
 帰りに、日本製品を売る商店と、日本の本を売る書店に寄ってきた。いずれも価格は日本の倍程度。地元のスーパーでは買えない納豆と胡麻ドレッシング、プラス上の子にウルトラマンのおもちゃ付きお菓子を買う。


2002年7月5日(金)晴れー飛び石連休
 前日が独立記念日で休みで、明日から週末なので、今日は飛び石連休の谷間である。ナーサリーにも子どもはまばらで、こちらでは祭日があるとそれを利用して、平日を「自主休日」にする慣行があるらしい?われわれは普通の平日を過ごす。勉強、勉強・・・。


2002年7月4日(木)晴れ−花火
 前日、上の子が腹の調子を崩したので、独立記念日でお祭りなのに、1日家にいる。夜の花火は11時ころまで続いていた(遠くであげている花火の音が我が家まで聞こえていた)。


2002年7月3日(水)晴れー歩行者と信号無視
 けっこう、車の違反に厳しいのに、歩行者の違反は甚だしい。どうしてかと思うくらい違反が多いのだが、実は、歩行者用信号も、守られることを前提にできていない。たとえば、近所の信号は、「横断可」(いわゆる青信号)は1秒もない。すぐに赤信号が点滅し始める。これでは、バビル2世でもカール・ルイスでも青信号では渡りきれない(ただし、規則上は、青信号で渡り始めればよいのだから、一瞬青信号になったときにわたり始めれば、違反ではないが、私は、最初、思わず引き返してしまった)。確かにこちらでは、キャンパス周辺を除いて、歩行者がほとんどいない。つまり歩いて移動している人はほとんどいない。したがって、道路信号も歩行者がいないことを前提に造られているのか。だから、たまにいる歩行者は、ほとんど信号を守らないのだろうか。先日も、赤信号で渡っている人が車とぶつかりそうになるのを見た。
 こちらの人は、歩かないから、足が弱っている人が多いように思う。特に少し年をとった人は、ひざが悪い人が多いのではないか。近所の若い人を見てみても、歩いて数分のところへ車で行く。そうかと思えば、一生懸命ジョギングしていたりするが。車に乗るのをやめて、歩けばよいのに。
 歩行者が少ないことに関してもう1つ。したがって、車を運転しているとき、あまり歩行者に気をつけなくなった。おまけにこちらは二輪車もほとんどいない。右折のときに巻き込みの注意をしているつもりで、注意深くなくなったかもしれない。日本に帰ってから気をつけたい。
 夕方、ナーサリーで上の子がおなかが痛いと先生におなかをさすってもらっていたようだ。
 


2002年7月2日(火)晴れ−エア・コンはだめか
 めちゃくちゃ暑く、子どもが夜寝ないと妻が大変不平をいい、私に当り散らすので、夕方、電気屋へエア・コンを見に行く。夏暑く、冬寒いところ聞いていたが、こちらの人もこの暑さに、一斉にエア・コンを買いに来たらしく、在庫が一掃されている。また、別の店へ行くと、アパートの窓に合うのは非常に高価なものしかないと教えられる。一応、ペンディングにして、夕食を食べ、家に帰る。車を止め、近所の人と、この話をすると、このアパートでは健康上の理由など特別の理由がないとエア・コンは付けられないと助言される(後で確かめたら、確かに、最初に渡された説明書にそう書いてあった)。買う前でよかった。なんでもこの暑さは異常らしいが、一般にこのくらい暑いのであれば、エア・コンを一律認めないのは、「人権侵害」ではないかとも思ったりもする。
 歩道の芝生などにしきりに水撒きがされている。日照り続きで、芝生がどんどん枯れているからだ。やはりこの暑さは異常気象なのだろう。


2002年7月1日(月)晴れーチャーチ燃える
 朝、ナーサリーへ行くと、隣のチャーチが燃えてなくなっている。そういえば、朝、新聞の1面に、チャーチが燃えたと載っていた。まさかナーサリーの隣のチャーチとは・・・。車から降りるとかなり焦げ臭い。ただし、隣といっても建物どうしはかなり離れており、類焼のおそれはなかっただろう。
 クラスは最終回を迎えた。今回は、以前の期末テストのレビューをするとのことで、事前に問題が渡され、答えを考えてくるようにいわれていた。これも教育的効果ありか。
 クラスに出てみた感想:「ソクラテス・メソッド」の実際がわかったが、学生がかなり勉強していないと、そして積極的に授業に参加しないと、成り立たない方式である。
 非常に気をつけていたつもりだったが、虫歯ができたようである。まだ痛くはない。


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