ミシガン日記(2002年6月)


2002年6月30日(日)晴れー自然公園へ出かける
 近所の自然公園へ出かける。建物もあり展示もあったが、本当の「自然公園」で、炎天下歩き回るのははばかられた。上の子は、展示で結構楽しんだようであった。


2002年6月29日(土)晴れー日本人のパーティー
 夕方、ランドリーに行こうと上の子と歩いていると、先日、ランドリーで会った男性と近くに住む男性に話しかけられる。少し後に焼き鳥パーティーをするとのこと。後できますといって別れる。一応、夕食を食べた後、上の子と出かける。上の子は、すでに夕食を済ましているにもかかわらず、そばと天津甘栗をたくさん食べ、マウンテン・デゥーをもらって満足している。確かにそばは、4ヶ月ぶりか・・・。来てから3ヶ月になるが、近所に住む日本人とこんなに話したのははじめてであった。


2002年6月28日(金)晴れー頭痛
 下の子の熱は下がり、ナーサリーへ行く。他方、私は、妻がいなかった間の疲れが出たのか、はたまた風邪を引いたのか(少し前のメチャクチャな暑さから少し肌寒くなってきた)、朝、少し頭痛がするので、家で本を読むことにする。


2002年6月27日(木)曇りー下の子、またまた熱を出す
 朝、またまた下の子が熱を出している。またまたナーサリーを休み。


2002年6月26日(水)曇り一時雨ー授業評価
 出席しているクラスが、残すところ以前の期末試験のレビューのみとなったので、学生による授業評価が行われる。私もここ数年、講義の際に行ってきたが、こちらのやり方をみて気がついたことを少し。
 1.学生が記入している間は、先生は退出しているー確かに先生が教壇に立ったままだと書きにくい可能性がある。
 2.評価シートはマークシートー金沢大学はシステム化されていなかったので、私は手作業で集計していた。これは非常に手間であり、授業評価を行うならば、マークシート方式は必須である。
 3.シートを集めるのは学生ーマークシートへの記入は鉛筆で行う。悪く言えば、「改ざん」が可能。そこでこちらでは、ボランティアの学生2名(これも1名でないところがよい。相互監視か)が学生全員からシートを集め、袋に入れてそのままその学生達が担当係りに持っていった。これなら先生による「改ざん」はできない。
 私は、金沢大学での参考のため、評価シートを1枚もらって帰った(枚数が確認されているかもしれないので、きちんと教授にもらっていいか確認した上で)。授業評価には参加しなかった。


2002年6月25日(火)晴れー妻、学会から帰る
 夕方、学会から帰宅した妻を空港までむかえに行き、夕食をそのまま食べ放題の店へ行く。全員、満腹して帰る。
 


2002年6月24日(月)晴れーコンピュータ担当者に注意される
 図書館でコンピュータの担当者から呼び止められ、金曜日にコンピュータ・ラボでネットワークに接続したことについて注意される。つなぎ方が悪かったようで、確かにそこには「DCL STUDENT ONLY」と書かれていた。確かに私はDCLの学生ではないので、そのコンピュータはそのまま使ってはいけないとのこと。設定を「STAFF」にかえてから使用せよとのことだった。
 土曜日にMSU Bookstoreから注文した本が届いているという電話をもらっていたので、取りに行く。注文した本もVisiting Scholarの身分証明書を見せ、10%引きになった。
 ナーサリーは、先週から夏のスケジュールになり、いろいろな行事もある。今日は、マジック・ショウがあるとのことだったが、帰宅した上の子に聞くと、前にランシングの図書館で見たマジック・ショウのおじさんが、まったく同じマジックをしたとのことだった。狭い町のこと、当然、予想されたことであった。


2002年6月23日(日)晴れー新聞がなぜかない
 新聞を買おうといつもの場所に行くと、すでに売り切れていた。仕方がなく学内の別の場所に行ってもすでに売り切れていた。さらに、ロー・ビルディングの前の売り場へ行ってみても売り切れていた。今日は、重大ニュースでもあったかと思い、近くのコンビに行ってみるとたくさん売っている。別に重大ニュースはなかった模様。なぜキャンパスの売り場はみんな売り切れだったのだろう。


2002年6月22日(土)晴れー子守りの日々始まる
 妻が学会出席のためダラスに出発する。空港まで送っていく。


2002年6月21日(金)曇りー小切手帳を注文
 パーソナル・チェックの用紙が残り少なくなったので、クレジット・ユニオンに出かける。いままでは、3枚1シートのテンポラリー・チェックにしていたが、すでにかなりの枚数を使っていたので、今回は小切手帳を注文する。


2002年6月20日(木)晴れーナーサリーから呼び出される
 大学の図書館で勉強していると、携帯電話がなった。ナーサリーからの呼び出しだった。薬の影響か、下の子のお尻がかなり荒れており、また便に少し血が混じっているとのこと。以前、似た症状の子がウィルス性の病気だったので、医者に行ってほしいとのことだった。再び、妻が医者に予約をいれ、連れて行くが、やはり飲んでいる薬のせいで時々あるとのことだった。


2002年6月19日(水)晴れーやっと2人、ナーサリーへ行く
 下の子の熱が下がり、2人ともナーサリーへいく。


2002年6月18日(火)晴れーまたまた本を注文する
 下の子は熱が続き、続けてナーサリーを休む。上の子はよくなったので行くことにする。
 MSU Bookstore で本を注文する。 


2002年6月17日(月)晴れー初めて医者に行く
 上の子も熱を出し、のどが痛くて唾液が飲み込めないといっているので、ナーサリーを休みにし、やむを得ず、初めてこちらの医者へ行くことにする。アポイントメントを取るため電話をしたが、アンサリング・マシーンになっていて、おまけに一部聞き取れないので、手っ取り早く、医者まで出向くことにする。今日の診察は期待していなかったが、午後5時50分に予約が取れた。診察してもらい、上の子は、軽い副鼻腔炎で、その関係で唾液が飲み込めないといわれ、下の子は、耳の中に炎症ができているので夜眠れないのではないかといわれる。2人とも同じ薬を処方してもらうことになり、処方箋をもらって、帰りに薬を買おうとするが、一時間かかるといわれ、仕方がないので、またとりにくることにする。この薬は、医者が行っていたとおり、子どもが非常に飲みやすい薬で、イチゴ味・非常に甘い。上の子は、寝るまで、この薬がおいしい、おいしいといい続けていた。
 今日は、クラスは中間試験だったので、休んでしまった。体調は、医者で、「お父さんも立派な咳をしている」といわれる状態。


2002年6月16日(日)晴れー突然ベルが・・・
 下の子は、風邪をひいてしまい、またまた夜寝なくなってしまった。それはそれとして、深夜、1時過ぎに、煙探知機のベルが2度もなり、非常に驚いた。よっぽどそのときにハウジングに電話しようと思ったが、今日になってから電話すると、時々あるので、もう一回なったら知らせてほしいとの返事であった。よりによって深夜になるとは・・・。
 下の子の熱は下がらず、自分の風邪も悪化の一途。喉が痛み始めた。


2002年6月15日(土)曇りー発熱再び
 朝、下の子が再び発熱している。突発疹は治ったものの、今度は上の子の風邪がうつったようで、咳をし、鼻水が出ている。仕方なく、下の子は1日家で過ごす。自分の風邪もひどくなる。
 上の子は、ナーサリーの同じクラスの女の子の誕生日会に出席する。クラスの全員が招待されたと聞いたが、男の子で出席していたのは1人だけだったそうだ。英語が理解できないのでみんなとの遊びに参加しづらいが、それなりに楽しめた模様であった。


2002年6月14日(金)曇り一時雨ー少々風邪気味
 少し風邪気味なので、大学に行くのをやめ、家で過ごす。横になりながら、日本から持ってきた日本語の専門書を読む。


2002年6月13日(木)曇りー水が漏れた!
 キッチンのシンクの下に水が漏れた。夕食後ではあったが、ハウジングに妻が電話をした。待つこと1時間半、もう今日は来ないだろうと思っていると、突然、男性がやってきた。いろいろみてまた明日の朝来るがよいかと聞く。まあ、仕方がないので承諾し、眠る準備に取り掛かる。夜10時15分ころ、別の男性がやってきてキッチンの蛇口を取り替えていった。日本なら夜の10時過ぎにこないだろうに。一度、明日といったものの、水漏れのことなので、今日中に処理することにした可能性が高い(ちなみに我が家は2階にある。水が大量に漏れると・・・、1階の人に迷惑がかかる)。
 ちなみに男性は2人とも当然のように土足ではいってきた。我が家は日本式に入り口で靴を脱ぐようにしており、あらかじめ妻と靴を脱いでもらうか話していたが、こちらの人にとって靴を脱いでいるのは、日本人が素足で道を歩くか、あるいは裸で道を歩く感覚かもしれないと、お願いするのはやめておくことにしていた。


2002年6月12日(水)晴れー久しぶり、ナーサリーへ
 上の子の熱が下がり、久しぶりにナーサリーへ行く。こちらは、久しぶりにまともに勉強ができる。


2002年6月11日(火)晴れーラビット・ゲット
 上の子の熱は続き、2日続けて休む。昼食をマクドナルドのto goにし、いつも行く近くのマクドナルドとは別の店に行く。この店は、以前、ハッピー・ミールのキャラクターが他の店より遅れていたので、まだラビットがあるのではないかと期待した。最初にカウンターでハッピー・ミールのおもちゃはプーのキャラクター・シリーズかを確認する。イエス。次に、今のキャラクターは何かを確認する。ルー・・・。少々がっかり。気を取り直して、今、店にラビットはあるかを確認する。すると、カウンターの女性は、おもむろに店の奥に歩いていき、段ボール箱を持ってきてくれた。その中に・・・、めでたくラビット発見。ハッピー・ミールを買い、帰宅する。これで6種類すべて集め終わる。私が帰宅し、昼寝から目が覚めてラビットを見つけた上の子は、かなり喜ぶ。ちなみに、私と上の子の喜びをよそに、妻はこの「プロジェクト」(プーさんキャラクター全種類収集計画)に関し、終始、懐疑的、批判的な冷たい態度を示していた。集めたプーさんのキャラクター人形は、集めた順に、ピグレット6個、プー6個、ルー4個、ティガー6個、イーヨー5個、ラビット4個の計31個に上ったのだった。


2002年6月10日(月)晴れ夕方少し雨ー上の子、初めてナーサリーを休む
 上の子の発熱は続き、初めてナーサリーを休む。下の子の発熱のときは、上の子だけ通わせていたが、今度は、一緒に下の子も休みにする。車で7〜8分のところにナーサリーがあるが、一方だけ通わせるもの少し手間。
 私は、ラビットを期待し、昼食にマクドナルドへ行く。キャラクターがイーヨーだったので、カウンターでラビットは終わったかを確認すると、終わったという返事。子どもの発熱により、しばらくマクドナルドに来ていなかったので、この事態を少々危惧していたのだが。帰宅して、上の子にこのことを話すと、がっかりしていた。結局、6キャラクター中、5キャラクター止まりか?ラビットやーい。


2002年6月9日(日)晴れー上の子、熱続く
 下の子は、完全によくなるが、上の子の熱が続く。
 昼食をマクドナルドのto goにし、イーヨーをゲット。残るはラビットのみとなる。


2002年6月8日(土)晴れー今度は、上の子が・・・
 下の子は、ようやく熱が下がり、湿疹が出てくる。やはり、突発疹であった。これでやれやれと思ったところ、今度は上の子が発熱している。こっちは風邪か?


2002年6月7日(金)晴れー下の子、高熱続く
 下の子、夜も眠れない程、高熱続く。


2002年6月6日(木)晴れー下の子、高熱続く
 下の子の高熱が続く。いよいよ、突発疹を確信する。
 運転免許が送付されてきて、やっと正式免許になる。


2002年6月5日(水)曇りー下の子、高熱を出す
 下の子の熱がかなり高いので、突発性湿疹を疑う。上の子のときは、初めてだったこともあり(実は、上の子の最初の発熱は突発疹で、いきなり40度以上出たので、深夜2時ころ、電話で確認の上、夜間診療所に連れて行った。6月だったが、深夜に起こされた医者は不機嫌そうに、「熱は出るもの、冬だったら肺炎になるから、夜来る必要はない」といっていた。看護婦さんに電話で確認してから行ったのに)、あわてたが、今回は、しょうがないと諦める。突発疹なら風邪薬も効かないので、水分をとらせることに注意しながら、解熱の座薬だけにする。
 午後は、授業に行く。授業に出ていて思うのだが、学生がワープロでノートを取るとき、英語は漢字変換の作業がなくてかなりとり易そうに見える。もし日本語で取るのであれば、漢字変換の作業に気をとられ、かなり取りづらそうに思える。スキャナー読み込みに加え、この点でも、日本語はコンピュータ化に不利だ。


2002年6月4日(火)雨ー下の子、熱を出す
 下の子が熱を出し、ナーサリーを休む。40度くらいと、かなり高熱。アメリカでは医者に行くにも予約がいるので、家で風邪薬を飲ませる。


2002年6月3日(月)雨ー急に寒くなる
 前日までとうって変わって、急に寒くなる。Tシャツで登校した私は非常に寒かった。寒暖の差が激しすぎる。半袖で授業に出ている人もまばらで、多くの学生はコートかジャケットを着ていた。失敗失敗。風邪引きそう〜。


2002年6月2日(日)晴れーアメリカン・ストレス?
 3歳の上の子にとっては、突然来たアメリカは言葉もわからず、かなりストレスもたまるだろうと思い、ある程度のわがままを許してきたが、少々度を越してきたので、「躾」を考えなければと思い始める。また、アメリカほど日本人としての子どもの躾に不向きのところはないように思う。ナーサリーでは、食事の際、いらないものはいらないといって食べなくてよく、ほしいものは、もっとほしいといえば、ある限りもらえるらしい。そこで、上の子の偏食がアメリカに来てからかなりでてきたように思う。また、アメリカは使い捨て社会だから、何でも捨ててしまい(ガベイジ!!!)、それが習慣になってしまっている。ちなみに食器類(ナイフ・フォークから器・コップまで)もすべて使い捨てである。洗って再利用するより「効率的」(プラス衛生的?)なのだろうが、かなり浪費であることには間違いない。アメリカの経済発展はこの「浪費」に支えられている側面が大きいのではないか。上の子もガベイジが多くなった。困った困った。
 昼食を妻の妹と一緒にとり、その後、半日つきあってもらう。彼女の予定は大きく狂ったらしい。


2002年6月1日(土)晴れー地域の情報に注意
 ランシングの中央図書館でマジック・ショウがあるという情報を得ていたので、上の子が面白いだろうと出かけたが、「見せるマジック」というよいりは「聞かせるマジック」も含まれていて、英語のわからない上の子にはあまり面白くなかった様子である。昼食は、マクドナルドのキャラクターを集めるため、再びマクドナルドへ。めでたく新たにティガーをゲット。残るは、ラビットとイーヨー。
 その後、動物園へ出かける。入場料、大人5ドル、3歳の上の子1ドルで、3人分11ドルを支払うが、後で妻の妹に聞いたところ、6月1日はイベント・デイで、参加料1ドルでランシング地区のいろいろな施設のすべてに入場できるツアーをやっていたらしい。その中に動物園も入っていた。最初から知っていれば・・・、安く上がった・・・。夕食は、一定金額を支払うと食べ放題のレストランへ行く。妻はここで食べると太るといっていた。自制心が重要・・・。


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