ミシガン日記(2002年4月)


2002年4月30日(火)晴れー本のリユース
 春学期の期末試験が本格化し、卒業式も近づいたので、今は、学生がしきりに教科書を売っている。大学にある本屋(日本の大学でいれば、生協のような本屋。しかし名前はMSU Bookstoreだから大学の公式の本屋ともいえる)でも組織的に売買がなされ、大学周辺にも組織的に教科書を買い取っている本屋(ちなみにこちらは、Student Book Storeという)がある。学生は、古本か新本か選んで注文が出せる。当然、古本の方が安いはずだが、必ずあるとは限らないし、中には古本と新本に同じ値段がついているものもある。日本でこのようなことが行われたら、教科書を執筆している先生方に怒られそうだ。アメリカでは小学校から、教科書は借りるものであって、買うものでももらうものではなく、使い終わったら返すことになっているそうだ(だから、書き込みは厳禁)。そういう習慣があるので、大学の教科書も、当然、使い終わったら、売ってしまうのだろうか。
 ちなみに、先日、こちらで買った本に次のような趣旨の注意書きがしてあった。それは、著作権の表示に続いて、「アメリカ合衆国を除き、この本は以下の条件の下に売られる。すなわち、出版者の事前の同意がない限り、取引の方法によると否とにかかわらず、この本を貸し、転売してはならない」というものである。この本の出版年は1985年であり、この条項が現在どのように扱われているか知らないが、出版社も大変である。「アメリカ合衆国を除き」というのは、本のリユースに対するお国柄に抗しきれないということか。


2002年4月29日(月)曇り時々雨ー歩くのが速い!
 ロー・ビルディングの中にも食べるところはあるのだが、昼食は、通常、歩いて7、8分のフード・コートに行き、ファースト・フードを食べている。私は、歩く速さには少々自信があり、日本にいるときは、前を横に広がってノロノロと歩いている学生によくいらいらしていた。しかし、こちらでは、かなり速く歩いているつもりでも、よく抜かされる。それもたくさん本が入っていそうな大きなリュックサックを担いだ学生によく抜かされる(こちらでは、ほとんどの学生がリュックを背負っている。両手が空いて合理的だというのが理由だろうか)。こちらの人は、とにかく歩くのが速く、なんとなくリズムを取りながらあるいているようだ。私としては、歩いているときに抜かされるのはしゃくだが、そもそも足の長さが違いすぎる。無意味に競争するのはあきらめた(ただし、日本では見かけないくらい太った人がいる。この人たちはかなりゆっくり歩く)。


2002年4月28日(日)雨ー渋滞
 昼食をチャイニーズ・レストランでとり、ショッピングセンターで買い物をして帰る途中、初めて渋滞にはまる。大学で何か催しがあったらしく、大学へ向かう車が大学周辺で大渋滞をしていた。情報に疎いわれわれは、何の催しだかいまだにわからない。
 チャイニーズ・レストランであったおばあさんに大学の卒業式がいつか結構しつこく聞かれる。私が、大学のネーム入りキーホルダーを首からかけていたので、学生と!間違われた。来たばかりで知らないと答えたが、今度は妻に聞いている。同様に知らないのだが。家に帰って今日の地元の新聞を見ると、1面に、卒業式に副大統領が来ることがでていた。おそらく副大統領の話が聞きたかったのだろうか。ちなみに、卒業式は、新聞にはフライデーと書いてあり、先週の金曜日の大学の新聞には、5月3日(金)と書かれてあった。確かロー・カレッジの期末試験はその次の週にもあったような気がするが・・・。卒業判定教授会とかないのかな。


2002年4月27日(土)曇り夕方から雨ー始めて日本人と話す
 土曜日ということで、昼前からおもちゃの量販店に出かけた。そこで渡米以来、初めて親戚でない日本人と話をした。同じ大学に留学しているS大医学部の一家5人であった。昨年8月から滞在しているとのことで、やはり最初はいろいろ大変だったそうだ。1人で留学していれば、異国で日本語が使えてほっとしたというところだが、家族で留学中の私は、毎日日本語を使っているので、日本語に飢えていない。ただし、その分、英語を使う機会が減るが・・・。
 この人のところも子連れで来ていて、一番上の子供が小学校とのことであった。やはり最初は学校に行かせるのが大変だったが、2、3カ月でやっと慣れたとのこと。私の上の子も相変わらずナーサリーを嫌がっている。


2002年4月26日(金)晴れー厳しーーーーい!!
 前日から図書館の入り口の扉のガラスに「No Cell Phones! Thank you for your Consideration」という張り紙がしてあった。図書館の掲示板をたまたま見たら、学生が数人、図書館内で携帯電話を使ったことで、25ドルの罰金(fine)を支払い、反省文が掲示されていることがわかった。
 日本では、私的に「罰金」を科すことはできない。罰金はあくまで刑罰の一種であり、国が裁判によって科すものだ。したがって、たとえば、私人が所有する月極め駐車場に無断駐車をした場合、「罰金1万円をいただきます」と書いてあっても、その法的効力は、そもまま認められるわけではない。しかし、こちらでは、いたるところで私的に「罰金」を科している。これも、「自分のことは自分で守る」というこの国の基本にかかわるように思う。
 携帯電話の件といい、春学期の期末試験が始まり、普段は図書館に無縁の学生が来ているようだ。私が普段勉強している「Faculty Study Room」も満員御礼状態で、遅く来た人など机がない。基本的にFacultyは期末試験は関係ないだろうと思うのだが、試験勉強のようなことをやっている人もいる。この部屋は一応常時施錠されており、鍵を持っている人しか入室できないが、誰かが出入りするときに一緒に出入りすることは可能だ。そこで、そうやって入っている人も皆無ではなさそうである。昼過ぎにやってきて、机がなかったある人は、入り口付近の数人にこの部屋の鍵を持っているか確かめいていたが、全員にyesと返答され、諦めて帰っていった。noの人がいたら出て行ってもらうつもりだったのだろうか。


2002年4月25日(木)晴れーシビア・ウェザー??
 前日の天気予報で、今日の天気は「シビア・ウェザー」といっており、ストームやトルネード!に対する対処方法をしきりに説明していたので、どんな天気になるかと思っていたら、風はかなり強いが、晴れだった。夕方に、日中、風が通してあった自宅の温度・湿度計を見ると、湿度は25%!だった。窓を閉め、炊事、入浴を済ませると、室内の湿度は52%程度に回復した。


2002年4月24日(水)晴れー再び嫌がる
 上の子がナーサリーを再び嫌がる。前日、ナップ(昼寝)の時間に本を読もうとして怒られたらしい。
 前々から、昼寝ができないと訴えていたので、他の子供に迷惑にならなければよいかと、静かに本を読んでいるように助言したのは親だ。ということで、怒られた責任の一端は親にあり。


2002年4月23日(火)晴れービバレッジ、O.K.
 通常、ロー・ビルディングの図書館にある研究者用のスタディ・ルームで勉強しているが、図書館では飲食が禁じられていると思っていたので、金沢大学の研究室でいつも飲み物を飲みながら勉強していた環境と比べ、かなり「のどが渇く」時間だった。しかし、ライブラリー・ルールをよく読むとこぼれないようにふたをした「コンテナ」入り飲み物はO.K.のようだ。助かった、ということで、毎日、ダイエット・ペプシのペットボトルを持参することに。


2002年4月22日(月)雪ーびっくり
 先週あれだけ暑かったので、ミシガンは冬から直接夏になり春がないと思っていたら、急に寒くなり、ついに雪が降る。気温の変化についてゆけない。


2002年4月21日(日)雨ーリサイクルは気まぐれ
 大学のリサイクルに行くが閉まっている。そういえば、気温が何度以上だとやらないとか、いろいろ書いてあった気がする。今日は、雨だからか、寒いからか・・・。確か雨は入っていなかったと思うが。


2002年4月20日(土)曇りーTo Goはよくない
 昼食にマクドナルドのバーガーをTo Go(テイク・アウト)で食べることになり、私が上の子と車で買いに行く。日本のように倒れないように袋に入れてくれないので、帰路は、ジュース類をこぼさないよう細心の注意を払った慎重運転になった。結局、こぼさず持ち帰れたが、To Goはもうやめようと思った。
 夜、遅く、扉をたたく人があり、洗濯にいきたいのでクォーター(25セント貨)をくれという。ランドリーで1ドル札か5ドル札を両替できると説明しても、来たばかりでどちらも持っていないという。何枚ほしいかと聞けば、4枚というので、結局あげた。
 この日から、めちゃくちゃ寒くなり、真夏からまた真冬へ逆戻り。


2002年4月19日(金)晴れー駐車違反のピック・アップ
 アパートの駐車場に止めてあった車をレッカー移動する現場を目撃。かなり手際よく、車は持ち去られた。それ以後、あの赤いマツダの車は帰ってこない。


2002年4月18日(木)晴れーWestLaw Training
 ウェスト・ローのトレイニングを受ける。この分野ではレキシスに遅れをとり、後発となったウェスト社だが、かなり挽回した感じ。


2002年4月17日(水)晴れーFaculty Meeting
 教授会で、紹介される。


2002年4月16日(火)晴れーLexis Training
 レキシスのトレイニングを受ける。
 上の子は、お気に入りの先生もでき、ナーサリーが楽しいといい始める。


2002年4月15日(月)晴れー昼のお迎え
 上の子がなおもナーサリーを嫌がるので、今週は、正午のお迎えに。
 FOXテレビで「Ally McBeal」が始まる(日本では、「アリー・マイラブ」)。初回ということで、8時から10時までの2時間。来週からは9時からの1時間。日本で45分で放送されるのが、コマーシャルいりで1時間かかる。しかも次回の予告は10時の直前に放送されるので、文字通り1時間放送だ。


2002年4月14日(日)晴れーリサイクルへ行く
 デポジットのないプラスチックやその他の空き缶、新聞紙などを、大学がリサイクルをしているので、そこへもっていく。なぜかサインを求められた。協力者?責任者?
 暑さのせいか、下の子が風邪を引く。


2002年4月13日(土)曇り−日本車!!
 今日は、土曜日でナーサリーがお休み。上の子と散歩に出かける。住んでいるアパートの駐車場に止めてある車をよく見たら、ある列では8台中6台が日本車だった。ただし、古いのも含まれており、私が今の車の前の前の前に乗っていた型のカローラもある。これも車検制度がないせいか。古くてもO.K.ただし、整備は自分の責任だ。
 これほど日本車が多いから、道行く車に違和感がないはずだ。だだし、自分の家の車はなぜかフォード。
 急に暑くなり、真冬から真夏になった。みんな半そでかノー・スリーブになる。


2002年4月12日(金)曇り夕方雨−なおも嫌がる

 上の子がなおもナーサリーを嫌がる。号泣が痛々しい。


2002年4月11日(木)晴れーナーサリーを嫌がる
 下の子はかなり慣れたが、上の子がナーサリーを嫌がるようになる。朝、預けようとすると、号泣する。


2002年4月10日(水)晴れ−めずらしい
 フォードにいくため少し早起き。朝7時20分ころ出発・・・・しようとしたら、かなり冷え込んだため、車が凍り付いている。日本のアイス・レザーが恋しかったが、自分の手でフロントガラス等の氷を取り除く。手がかじかむ。7時30分ころ何とか出発。相変わらず、踏み切りを想像させる警告音は鳴り続けている。
 フォードに着くとめずらしく前日の話が全部通っており、何も説明する必要がない。よしわかったと、車を預かった恰幅のいいおじさんが運転席のドアをバンと閉めると、車内灯が消えた。ということは、故障の症状が出ていないということでは?やっぱり今日は晴れている。しばらくすると、昨日話を聞いてくれた人が、65ドルの見積もりだという。それでお願いし、見積書にサインし、待つことにする。2時間くらいといわれていたので、本を持参していた。本を読みながら待つこと1時間少し、再び現れた昨日の人は、症状が出ないという。結局、その部分の整備をしないと保証はできないといわれ、見積もりが130ドルになる。しかたがないのでお願いし、見積書にサインする。待つことさらに1時間と少し。終わったというので、車をもらって帰る。症状は、それ以来出ていない。


2002年4月9日(火)雨ーアズ・イット・イズ
 車を買ったところへ行き、調子が悪いことを言うが、当然、車はアズ・イット・イズで売ったのだから、不具合には感知しないという。中古車は、買主注意せよだ。そこで、フォードのディラーの場所を聞き、行くことにする。
 しかし、ディラーでは、今日は混んでいるので、明日の朝8時に来いという。しかたがないから、翌日の約束をして、警告音を鳴らしながら帰る。
 自分のコンピュータは結局大学のLANに直接つなげることを諦め、ダイアル・アップのみの使用とする。使用言語の問題は、思ったより大きかった(たとえば、こちらでは、ファイルを¥で区切ったりはしない)。大学では非常勤講師室のコンピュータを使うことになるが、windows95で速度が遅い上、日本語が使えないのが難点。


2002年4月8日(月)雨ー車が壊れる
 予防接種が終わり、子供たちがナーサリーへ行く。初日とあって、正午のお迎えに決める。上の子は、そこそこ楽しんだらしいが、下の子は、オール・ディ・クライイングといわれる。
 送り迎えの途中、車の半ドア警告灯が点きっぱなしになり、警告音が鳴り続ける。以前にも少しあったが扉を閉め直すとしばらくして直っていた。今回は、直る気配がない。そういえば、この車を買う際の試乗でも半ドア警告灯が点き、いろいろ扉を閉め直して直ったと妻がいっていた。最初からの不具合に違いない。どうも、雨の日に多いような気がするので、水がどこかから入り込み、電気系統にトラブルが起きているに違いない。警告音は、常時、踏み切りにいるような感じをもたらした。


2002年4月7日(日)晴れータイム・チェンジ!!
 午前1時が午前2時に変更され、いわゆるサマータイムが始まる。すると、午後8時でも明るい。このぶんだと、6月には午後9時過ぎでも明るい!! 確かに省エネにはよいかもしれないが、子供のいる家庭では、寝かせるのがたいへんではないか。明るいうちから寝る・・・。無理だ。


2002年4月6日(土)晴れー日本からの輸入品
 FOXテレビで、パワー・レンジャー(ガオレンジャー)やデジモンを見る。また、電器量販店で、バトル・オブ・ザ・プラネッツのDVDを発見。ちなみにこれはガッチャマン。DVDの方式が日本とアメリカで異なるのが残念。


2002年4月5日(金)曇りー運転免許の筆記試験を受ける
 車がないと不便だということで、ミシガン州の運転免許を取ることに。日本から持参した国外免許(国際免許)でも運転はできるが、こちらに一定期間住むのならば、こちらの免許を取得する必要がある。
 筆記試験は、日本語でも受けられるそうだが、訳の関係で変な問題があり、英語で受けたほうがよいと助言され、英語で受けることに。合格。これで、テンポラリーの免許(仮免許)が与えられ、30日以上、路上で練習し、次に技能試験を受けることになる。仮免許では、ミシガン州の免許を持った人に同乗してもらわなければ運転できないが、私は、条約に基づき、国外免許で運転できるから、同乗者なしで路上を乗っている。この理解で正しいかどうかはわからないが、私が運転するときにいつも同乗してくれるミシガン州の免許を持った人を知らない。しかたがない。
 ちなみに、訳の関係で変な問題には、たとえば、「オートバイの後部座席のシートベルト・・・・」という問題があったそうだ。オートバイの後部座席にシートベルトがあったっけ・・・。


2002年4月4日(木)晴れーなおもコンピュータがつながらない

 コンピュータがつながらず、再度、翌週、トライすることに。電子メールが使えない。


2002年4月3日(水)晴れ−コンピュータがうまくつながらない
 電子メールのアドレスがやっと決まり、日本から持参したPCをこちらのLANにつなぐべく、取り組むがセット・アップがうまくいかず。電子メールが相変わらず使えず。


2002年4月2日(火)曇りー1日家にいる
 1日家にいた。なかなかセトル・ダウンができない。


2002年4月1日(月)晴れー学部長に会う
 学部長に会う。中国に留学したことがあるそうだ。電子メールの件は、テクノロジーの担当者が風邪で休みとのこと。いつになったら、アドレスが・・・。
 夕方、上の子の予防接種に行く。


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