ミシガン日記(2002年11月)


2002年11月30日(土)雪ー結構な積雪
 雪が本格的に降り始め、かなりの積雪。といっても、3センチ程度か。
 子供達は、休日に限って早起き。結局、どこにも出かけられず、一日家で過ごす。


2002年11月29日(金)曇り時々雪ー勝手に休み
 今日はサンクス・ギビング・デーの翌日であり、祝日でも何でもない。しかし、みんな勝手に休みである。といっても学生は少しはキャンパスに残っているから、大学内のフード・コートはやっているだろうといってみるが、あいにく休み。仕方がなく、家にあった材料で食事。
 結局、どこに行っても休みなので、一日家で過ごす。


2002年11月28日(木)曇り時々雪ーサンクス・ギビング・デー
 アメリカではクリスマスと並ぶ大きなホリデーがやってきた。従来は由来にしたがって11月26日が祝日であったが、現在では、11月の第4木曜日がサンクス・ギビング・デーと定められている。木曜日というところがおおきなミソで、事実上、祝日ではない翌日の金曜日も(自主的に)休みである。ロー・スクールでは、翌金曜日は休校の措置が採られており、授業はすべて休講となっている。日本でいえば、お盆に当たるようなもので、かなりの人が旅行を兼ねて帰省もするようである。ただし、この寒さではお盆の雰囲気は全くないのだが・・・。
 子供達の熱は下がり、サンクス・ギビング・ディナーに呼ばれていたアメリカの家庭を訪問する。定番のターキーほか持ち寄りのパーティである。これは、以前家に遊びに来てくれたヒューマン・エコロジーの大学院生の一人が誘ってくれたもので、もう一人の大学院生ととともに、我が家も参加した。上の子、下の子ともに絶好調である。アメリカの、とくに田舎?の家は、地下室があり、だいたい二階建てで、かなり広い庭があり、駐車スペースもかなり広くとられている。この造りは、国土の狭い日本ではまねできないだろう。また、家と家の間に塀がないのも大きな特徴である。無粋な物で家を囲ったりしないという発想だ。
 パーティの際、またまた、アメリカの家が暗いことに関連して、目の色に話がいった。われわれ日本人の目の色が黒色か茶色かという問題だが、私は茶色だと思っていた。ミシガンの免許証にもそう書いてある。しかし、他の人は黒色だと主張する。そう思って他の日本人をみてみると、妻、子供2人はたしかに黒色である。私だけが茶色である。いままで、まったく気がつかなかった、というより意識しなかった。日頃、妻がアメリカの家が暗い暗いといっている理由がやっと理解できた。私にはそこそこ明るく感じられていたのである。これは目の色のせいだったのだ。
  笠井潔「道ージェルソミーナ」(集英社文庫)(ノヴァイで買った古本の1冊)を読了。


2002年11月27日(水)曇り時々雪ー上の子の発熱続く+11月なのに氷点下10度Cとは
 上の子の熱は下がっておらず、加えて、下の子まで発熱していた。仕方がないので、ナーサリーに電話し、今日は二人とも休むと伝える。その後、下の子の熱は、出かける際に寒いといけないと思って着せた服が原因のようだと判明。今日は一日家にいるので、また薄い服に着替えていると、熱は下がったようだ。メチャクチャ快調。上の子の熱は結局夜まで下がらず。
 今日の朝の最低気温は14度Fであった。氷点下10度Cといったところか。金沢では最近お目にかかれないほどの低温である。日中、うっすらと積もった雪も融けない。凍り付いた車は、お湯をかけて融かしている。


2002年11月26日(火)曇り時々雪ー上の子、発熱
 朝、上の子の体が熱いような気がしたので体温を測ってみると、熱がある。土曜日、夜遅くまで遊び、また昨日チャーチではしゃいだのが原因か?
 かなり久しぶりだが、ナーサリーを休む。その後、昼間は体温が下がっていたようだ。下の子を迎えに行く際、上の子の担任の先生から明日は大丈夫かと聞かれ、たぶん大丈夫と答えておいた。今週はサンクス・ギビング・デーがあるので、ナーサリーは月・火・水のみである。
 気温もかなり下がっている。バス停まで10分ほど歩く間に読もうと思って本を持っていったが、寒さで手が痛く持っていられないほどであった。結局、歩きながら読むのはあきらめた。手袋を持っていないのが悪いのだが・・・・。日中の最高気温も氷点下である。


2002年11月25日(月)曇りー男女差!!!
 朝、またまた積雪。ただし構内ではアスファルトとコンクリートに積雪なし。どうやらその下に温水パイプが埋められているようで、雪が積もらない。その影響か、アパートの階段も、下から3段目くらいまでは、雪が積もっていない。熱伝導・・・・。
 せっかくアメリカに来たのだから、大学スポーツも子供達に見せようと考えた。アメリカン・フット・ボールは、チケットが高く、またとりにくく、またルールが難しいので子供達向けではないと思い、結局、行かなかったが、バスケット・ボール程度ならおもしろいかなと考え、チケットを買いに行った。先日のおでんパーティのときには、男子バスケは、なかなかチケットが手に入らないのでは、といわれていた。
 インターネットで調べると、われわれの目当てのしあいの前の試合が発売中であった。それならと朝、事務所へ行ってみると、目当ての試合は売り切れといわれ、期末試験後の4試合のチケット(4試合分まとめて売られる。期末試験の鬱憤をはらすのか?)か、われわれの帰国後!のチケットならあるといわれる。われわれは子供連れなので、できれば土日の昼の試合がよい。仕方がなく男子バスケをあきらめ、女子バスケを聞くと、それなら当日行けばいつでも買えるといわれてしまった。たしかに男子バスケは人気が高く、ダフ屋が多く出没しているが、女子バスケはそうではないらしい。そういえば、先日の開幕戦をテレビのニュースでやっていたが、客はあまり入っていなかった。男子と女子では迫力が違うかららしいが・・・・。チケットの価格も女子は男子の3分の1らしい。これも需要と供給の法則か。


2002年11月24日(日)曇りのち雪ー安息日
 結局、昨晩は妻も発熱していた。私以外の家族全員が病み上がりということもあり、今日は安静に過ごすことにした。(妻は熱を出しても寝ていられないので気力で治したといっていた)。
 あまり昼寝をしなかったせいか、子供達も早く寝たので、めずらしく、夜、本を読む時間があった。昨日ランドリーへ行ったときに読み始めた、吉村達也「幽霊作家殺人事件」(角川文庫)(先々週ノヴァイで買った古本の1冊)を一気に読了。


2002年11月23日(土)曇りーおでんパーティ
 近所に住んでいる日本人の方が今月で帰国されるため、送別会としておでんパーティが開かれた。我が家は、またまた一家で参加した。とにかく小さな子連れなのでいつも迷惑をかけてしまう。今回は、小さな子の事故を避けるため、おでんの鍋がが食卓に並ばず、それぞれ皿を持ってキッチンの鍋まで取りに行く、バッフェ形式となってしまった。おでんの雰囲気がでなくて申し訳ない・・・。
 上の子は、この集まりに来るといつも絶好調である。若いおにいさんやおねえさんに囲まれて(この集まりでは、私は最年長である。みんな若い)、いつも調子に乗っている。遊んでもらえて幸せである。9時頃に妻と下の子は帰り、私の上の子だけ残ったが、その後、何回も帰ろうと行ってもやだという。結局、帰ったのは12時10分前くらいであった(おでんパーティ会場から我が家までは、歩いて20秒くらいの距離である)。上の子は、かなり疲れたらしく、着替えて歯を磨き、12時前には寝ていたが。
 ちなみに、パーティの際、アメリカの家が暗いことに関連して、目の色に話がいった。目が青色など薄い色の場合には、光が多く取り込まれるため、少し明るいだけでかなりまぶしく感じるらしい。それに引き替え、目の色が濃いと、暗く見えるらしい。アメリカの人がなぜ暗い(とわれわれが感じる)部屋で過ごせるのか、納得。


2002年11月22日(金)曇りのち雪ーサンクス・ギビング or クリスマス
 下の子は、今日からナーサリーへ復帰した。
 ランシングの図書館に行っていた妻が、ランシングの今日の夜のイベントの情報をつかんできた。パレードと花火、その他、いくつかの展示である。かなり寒かったし、下の子は病み上がりなので少し考えたが、出かけることにした。ついて、少し歩いた後、無料の馬車に乗ったが、交差点ですぐ停車した。パレードが来るので、ここで待つという。しばらく馬車の上からパレードを見ていたが、とにかく寒いので、サブウェイに行って、軽く夕食をとることにする。
 食べ終わって、寒いのでもう帰ることにした。予定ではもうすぐで花火のはずだが、まだやっていなかった。車までたどり着いたころ、ちょうど花火が始まり、車に乗ったまましばらく花火を見ていた。こんなに寒い中で花火なんて、日本では考えられないのではないか。


2002年11月21日(木)雨のち雪ー大事をとって
 下の子の熱は下がったが、少し不安なのでもう一日休ませることにする。


2002年11月20日(水)曇りーついに連続出校記録途絶える
 朝、下の子が少し熱い。熱をはかってみたら、38.5度ある。この頃ずっとナーサリーを休まずに来たが、ついに休まざるを得なかった。


2002年11月19日(火)雨ー「Warmer」って何だ
 天気予報で、今日はwarmerだといっていた。しかし、46度Fである。そんなに暖かいとは思わない。たんに前日や最近との比較らしい。


2002年11月18日(月)曇りーぶつかったのに
 チャーチの英会話教室に行く途中、上の子のがどうしても行きたいというので、バーガー・キングで夕食を軽くとることにした。駐車場に車をとめて、車から降りようとしていたとき、隣の、そのまた隣の駐車スペースに止まっていた車がバックで発進したが、さがりすぎて反対側に駐車してあった車にぶつかった。結構大きな音がした。しかし、何事もなかったかのように、そのまま走り去ってしまった。事故申告義務はどうなった?
 そういえば、シカゴに行ったとき、ホテルの駐車場で我が家の車のサイドが擦られていた。最初は車が相手だと思ったが、後で考えると、海外旅行用のスーツ・ケースなど大型の鞄が擦ったようである。しかし、何事もなかったかのように、誰も何もいってこなかった。車を傷つけても何も言わない人が多いのか。
 鳥井加南子「最後の誕生日」(光文社文庫)(先週の週末にノヴァイで買った古本の1冊)を読了。


2002年11月17日(日)雪のち曇りー積雪
 朝起きたら、アスファルトまでうっすらと積雪。2日前の雪よりも本格的で、まだ降り続いている。ただし、こちらの雪は、気温が低いため、金沢のベタベタの雪と比べ、かなりサラサラしている。やめてくれー!雪は嫌いである。
 気温が低く、とても外出する気になれないので、一日家で過ごす。
 このごろ、論文を書いていて、調子が出ない。よく考えたら、3月の渡米以来、日本語の論文をまったく読んでいない。日本語の文章を読まないと、よい日本語は書けない。しかしここでは手元に日本語の論文はない。ということで、最近、手に入る古本を時間の合間を見て読むようにし始めた。法律論文ではなく小説だが、出版された日本語の文章を読むのは大切なことだろう。このままだと、日本語が「不自由」になってしまう気がする。島田荘司「見えない女」(光文社文庫)(先週の週末にノヴァイで買った古本の1冊)を読了。


2002年11月16日(土)曇りーチャーチのサンクス・ギビング・ディナー
 英会話教室に通っているチャーチでサンクス・ギビング・ディナーが催された。かなりお金がかかっていると思われるのだが、すべて無料である。こども二人を連れて参加した。
 まず、礼拝堂?で、サンクス・ギビング・ディの由来などの説明を受け、歌とお話があった。その後、ディナーとなるのだが、テーブル・セット、照明等、かなり本格的なディナーである。ただし、われわれは子供を連れているので、別室で、会議用テーブルにプラスチック皿で、別室から運ばれてくる料理を食べた。
 食事後、上の子は、教会に併設されている体育館でボール遊びをし楽しんだ。オレンジ色のボールをウルトラマン・ティガのまねをして投げる。


2002年11月15(金)晴れー雪化粧!
 朝起きると、車や地面がうっすらと雪化粧している。ただし、アスファルトの雪はもう融けている。11月15日でもう積雪か(ほんの少しだけれども)!気温はマイナス5度Cくらいである。
 子供たちが通っているナーサリーでは、今日はピクチャー・ディだった。昨日、何回も念を押されていた。時間は気にしていなかったのだが、なんと朝7時から9時までに写真を撮るのであった。朝の積雪と車が凍結していたせいで、出発が遅れ、到着が9時10分頃になってしまった。写真のセットはかたづけられずに、残されており、めでたく写真を撮られた。


2002年11月14日(木)曇りのち時々雨ー車の売却準備
 朝、下の子の熱は下がっていた。相変わらず、深夜に数回下の子には起こされるが、3時頃にはもう下がっていたような気がする。少し問題があるかなと思いつつ、ナーサリーへはそのまま行かせた。幸い、再び熱が上がることもなく、元気に帰宅した。よかった。
 そろそろ車を売却しなければならなくなった。ということで、州の事務所へ行き、車の売買手引き書をもらってきた。


2002年11月13日(水)曇りーちょっと無駄使いか・・・と下の子の発熱
 昼食後、またまたMSU Bookstoreに行く。前から購入を考えていた本をついに買ってしまう。無駄使いか?
 夜、下の子が発熱していた。私が下の子の体が少し熱いと思い、体温を測ってみると、38.5度Cもあった。妻はまったく気づかなかったといっている。妻も熱があったようである。


2002年11月12日(火)曇りーいろいろなコイン
 朝、子供たちをナーサリーへ送った足で、アパートのムーブ・アウト届けを出す。いよいよ帰国が近づいてきた。
 授業の前に自販機でコーヒーを買おうとしていたら、女学生がコインを見ながら「カナディアン?」といっている。自販機がコインを受け付けないからである。そして、もっとよく見ながら「メキシカン!」と叫んでいた。私はまだメキシコのコインには出会ったことがない(はず)。ミシガンはメキシコと離れているので、あまり混ざらないのか。カルフォルニア州だったら事情が違うかもしれないが。
 注文していた本を取りにMSU Bookstoreに行く。加えて、またさらに2冊注文。
 少しずつ読んでいた短編集、北村薫「覆面作家と愛の歌」(角川文庫)(ノヴァイで10月に買った古本のうちの1冊)を読了。


2002年11月11日(月)曇り時々小雨ー復員軍人の日の失敗
 今日は、「復員軍人の日(Vertarans’ Day)」という祭日であるが、メイン・ホリデーでないので、普段とまったく変わらない。休日ではない祭日は調子が狂う。
 上の子のもらったコートの替わりに、上の子の先生に折り紙の本と折り紙を差し上げたところ、非常に喜んでくださった。よかった、よかった。
 テレビのニュースで大規模な竜巻の被害を報じていた。隣のオハイオ州でも被害がでている。近くの人に聞いたところ、われわれが住んでいるアパートの建物も昨年の竜巻で被害を受けているとのことであった。ミシガンでも、いつ竜巻が起こっても不思議ではないのである。
 昼食は、大学のすぐそばのインド・カレーの店へいった。久しぶりの本格カレーであった。
 チャーチの英会話教室では、先週、チャイルド・ケア・ルームで子供たちが少しぐずったようなので、妻は、子供たちと一緒に学べる「ナーサリー・クラス」へと変更してもらった。子供たちは母親と一緒でお菓子を食べ、飲み物を飲んで楽しい時間を過ごしたらしい。
 英会話教室も終わろうとしていた最後になって少し失敗した。日本の宗教事情を聞かれた際、隣に座っていた日本人の女の子が「日本には信仰を持たない人が多い」と説明したのに同意してしまい、おまえもそうかと聞かれ、そうだと答えてしまった。ガイド・ブックなどには、キリスト教圏で「信仰を持たない」というのは非常に奇異に聞こえるから、ブッディストなどと答えておくのが無難であるという記述を読んでいたので、日頃から心がけてはいたが、失敗した。それも教会でついやってしまった。チューターから、それならキリスト教徒になるべきだ、聖書を読むべきだと、涙ながらに訴えられてしまった。ここの英会話教室で先々週の作文の時間には、日本では、多くの人が、正月は神社に初詣に行き、神道スタイルで一年の平穏を祈り、お盆には仏教スタイルでお墓参りに行き、先祖の供養をし、クリスマスにはキリスト教スタイルでメリー・クリスマスをすると書いたが、これは「信仰を持たない」趣旨ではなく、日本には神様がたくさんいるという趣旨で書いたつもりである。日本では昔から八百万(やおよろず)の神だからである。日頃からこう思ってはいたのに、言葉足らずで、うまく説明できなかった。失敗である。私は、涙ながらに訴えられても、キリスト教徒になるつもりは全くなく、非常に申し訳なかった。


2002年11月10日(日)雨ーぶつかるぞー!
 昼食を外食にすることにしたが、手持ちの現金がほとんどないので、クレジット・ユニオンへ引き出しのために途中で寄ることにした。現金を引き出し、車で帰る際、道路にでるときに道を譲ったので前をゆくことになった車と道を横からきた車が信号交差点で衝突しそうになった。明らかに横からきた車の信号無視である。ちょうど、左折の矢印信号がでており、私もその信号で左折するため、スピードを上げているところであった。たぶん、私が道を譲らず先にでていれば、衝突していたに違いない。
 アメリカは車社会で交通マナーがよいといわれているが、本当にそんなのは嘘だ。マナーという点では極めて悪いのではないか。実は、こちらではオートレースの番組が頻繁に放送されている。自分もレーサーになったような気分で高速道路や一般道を、制限時速を無視して縫って走っている車が多い。事故も本当に頻繁に起こっている。


2002年11月9日(土)曇りーノヴァイでの買い物
 上の子のもらったコートのお礼に何かよい日本のものはないかと、日本関係のマーケットのあるノヴァイに再び出かける。いろいろ捜したが結局これといったものがなく、日本から持参している英文の折り紙の本とおりがみを差し上げることにする。
 上の子は、購入予定だった「幼稚園11月号」が売り切れでガッカリ。代わりにウルトラマンの指人形入りラムネ菓子(本当は主と従が逆)を5つ買い、一応満足して帰る。私は、古本を4冊購入。


2002年11月8日(金)晴れー論文執筆
 コピーした資料がかなり多くなり、大学の図書館のロッカーに入り切らなくなったので、一部、自宅に持ち帰った。今日は、自宅で論文執筆に専念した。
 上の子には、黒のリバーシブル、かつアタッチャブルの極めて良さそうなコートが先生からプレゼントされた。上の子は、かなり気に入って、着ている。


2002年11月7日(木)曇りーAAAとハウジングとサブエイ
 朝、子供をナーサリーへ送った際、上の子の先生が、「自分の子供のコートが不要になった。上の子に似合いそうなので、欲しければあげる」とおっしゃる。この日はたまたま私が一人で送ったので、私1人では判断つきかねず、家に帰って妻と相談するといって、保留にした。
 ナーサリーへ送った後、その足で、ハウジングへいってムーブ・アウトの仕方を聞く。鍵を返せばよいとのこと、立ち会いなど、検査は必要なく、希望すれば立ち会いをするという。希望する人は何のために立ち会いを希望するのか。少し、意味がわからない。
 時間が中途半端になったので、少し早いが昼食にすることにし、フード・コートのサブエイへ行く。あまりおなかがすいていなかったので、キッズ・パックを注文したところ、クッキーが入っていない。クッキーのことをいうと、アイム・ソーリーといって2枚入れてくれた(通常は、1枚)。こちらでは、結構、店員の判断で、いろいろおまけをくれたりする。
 結局、上の子にコートをもらうことにし、お迎えの際、お願いしますといっておいた。
 ヤフーで日本のニュースを検索していたところ、日米中の中学生アンケート結果が報じられていた。アメリカの生徒の自信満々さ、中国の生徒の上昇志向に比べ、日本の生徒のなんと情けないことか。こちらの授業にでていると、まさにそれが実感できる。すでに金沢大学の教養教育の来年度の授業シラバスの執筆をし、原稿を送ったが、アメリカの授業方式で授業を行うと書いておいた。それには、学生の十分な予習と積極的な授業参加が大前提である。はたして授業が成り立つか、少し不安になってきた。


2002年11月6日(水)曇りー女性知事!
 中間選挙の開票の結果、ミシガン州は民主党の女性候補(前・司法長官)が州知事に当選した。テレビなどの事前の世論調査ではこの候補が常にリードしていた。民主党の州知事は12年ぶり、ミシガン州では初の女性州知事ということである。隣のミシガン大学の学長も女性だし、さすがアメリカである。中間選挙全体では、上院・下院で政権党の共和党が勝利し、ブッシュ大統領の政権運営がしやすくなった。中間選挙で政権党が勝つのは珍しいとのことである。
 夜、妻の妹がフランスから戻るので、空港までむかえに行った。上の子は久しぶりに会った妻の妹からおみやげ(おもちゃ入りチョコレート)をもらい、喜んで食べてしまった。


2002年11月5日(火)曇りのち雨ー傘をささない
 朝、ロー・ビルディングに着くと、さっそく、昨日頼まれた日本の商品を売っているスーパーマーケットの所在地についてメールを出しておいた。
 冷たい雨が降る季節になった。それにしてもこちらの人は傘をささない。たまに傘をさしている人を見つけると、明らかにアジア人であったりする。今日の雨は結構本格的だった。濡れても風邪をひかないのだろうか。
 今日は中間選挙である。投票所に行くためにバスもただで乗れるとバスの中に表示してあった。


2002年11月4日(月)晴れー自動車保険の更新
 自動車保険の更新のお知らせが来ていた。しかし、1年間の更新なので、保険はそんなに長く必要ない。そこで、AAAに出かけた。
 もうすぐ日本に帰ること、車をそのうち売る予定であることを説明したところ、保険が自動に更新されるので、車を売ったら連絡せよ、日割りでお金を戻すといわれた。まあ、そんなものなのか。
 チャーチの英会話教室で、中国人の人からデトロイト近郊で日本食の食材を売っている店の場所を教えてほしいといわれる。所在地をといわれても、暗記しているわけもなく、とてもその場ではわからない。来週ではダメかというと、ダメだという。結局、後で調べてメールで知らせることにした。
 夜、FOXニュースを見ていると、MSUのアメリカン・フットボールのヘッド・コーチが解任されたというニュースをやっていた。ミシガン大学戦の0−55には、いろいろな人の堪忍袋の緒が切れたらしい。相手チームのタッチ・ダウンの嵐では・・・・。


2002年11月3日(日)晴れーケロッグ発祥の地
 天気がいいので、バトル・クリークのケロッグまで行った。あのコーン・フレイクで有名なケロッグの展示館である。バトル・クリークはケロッグ発祥の地らしい。
 少し寒い季節になり、また日曜日だということもあって、「いやな予感」がしたので、出発前にインターネットで開館時間の確認をしたところ、案の定、正午開館であった。朝早く出かけたら、待ちぼうけになるところであった。
 時間に余裕があったが、どこかで昼食を食べる予定で出発。早々に目的地に着いたが、周りに食事ができそうなところがない。しばらく走ったら、ガソリンスタンドにサブウェイとタコベルの表示が・・・。本当にあるのか不安だったが、入ってみると食事する席はないが、食品だけをテイクアウトで売っていた。仕方がなく、テイクアウトし、駐車場の車の中で食べる。
 その後、ケロッグへ行く。コーン・フレイクの製造過程がよくわかった。子どもは2人とも、ケロッグをおいしく食べた。


2002年11月2日(土)曇りーアメリカン・フットボールの試合
 こちらではアメリカン・フットボールに熱狂的な人気がある。大学の対抗戦も例外でなく、試合がある土曜日になると、前日の金曜日の夕方から人が集まってきて、キャンプ生活?をしながら駐車場や公園で試合開始を待っている。9月の頃はよかったが、今では寒くて大変だろう。今日は、ライバル校のミシガン大学戦があるはずなので、さぞや皆が熱狂しているだろうと思っていたら、キャンパスが大変静かである。いつもなら、キャンパス内のアパートの駐車場へ観戦者の車が停められないようにポリスが出て規制しているにもかかわらず、今日はポリスもいない。ということで、ハタと気がついた。もしかしたら、今日はホームではなくアウェーではないか、アナーバーで試合があるのではないかと。案の定、そうであった。結果は、0−55の歴史的大敗であった。これで、今期の成績は3勝6敗である。最初、2連勝したときはMSUは強いのかと思ったが、そうでもないらしい。今期は、すでにヘッド・コーチ(監督)の解任の話まででているそうである。


2002年11月1日(金)晴れー資料送付
 渡米以来、いろいろとコピーしてきたものがかなりたまり、また帰国も近づいたので、資料を日本へ送った。もっとも安い手段でということで船便で送ったのだが、かなり高い。


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