論文作法のおとし穴

                                                 名古屋大学教授 森島昭夫


 ものを書くのは容易なことではない。何も人の心を打つ名文をものしようというのではなく、自分の考えを他人に伝えるだけでも大変なことである。ところが、法学者のなかには、ことばがコミュニケイションの手段であるという、肝心なことを忘れている人がいるように思われる。
 第一に、いたずらに難解な概念を作り出して、ふりまわす人がいる。自己顕示欲型といおうか。見慣れないものが独創的であると取り違え、理解できないものが学問と考えているのであろう。第二に、自分が研究したことをすべて書いてしまわないと気が済まない人もいる。満艦飾型としておこう。勉強した量を誇示したい気持は判るが、割愛するのも能力のうち、読まされる側の迷惑も考えてほしいものである。第三に、起承転結もはっきりしないまま、ただ長々と書く人がいる。牛のよだれ型である。書けばよいというものではない。文章は簡潔に、考えの筋道ははっきり示す必要がある。
 とは言うものの、いずれのタイプも他人事ではない。自分が陥り易い落し穴である。もの言えば唇寒し。自戒自戒。

                     森島昭夫「論文作法のおとし穴」法学セミナー384号160頁(1986年12月)より


 森島昭夫先生は、私の、学部、大学院、及び助手時代を通じての指導教官であり、現在までずっと私の「先生」です。この文章が書かれた1986年は、ちょうど私の修士2年にあたっており、9月に修士論文の第1稿を先生に提出し、お忙しい時間の合間をぬって、ご指導頂いていた時期に当たります。「おとし穴」に陥っているのが、ちょうどその時、目の前にあった私の論文だとは思いたくないのですが……。「キミの論文のことだよ」という先生のお声が、そら耳であることを願いつつ……。


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