ミシガン日記(2002年10月)


2002年10月31日(木)晴れーハロウィーン
 今日はハロウィーンということで、子どもたちはコスチュームを着てナーサリーへ出かけた。この頃、上の子は、ナーサリーがかなり楽しくなったらしく、結構、喜んでいっている。またアメリカ人の友達も何人かできたようで、家でも名前を上げて話してくれるようになった。よかった、よかった。
 私が昨日の続きでメイン・ライブラリーに出かけると、学生だけでなく、事務職員にもコスチュームを着た人がいる。突然、閲覧室で魔女がまじめな顔をして勉強していたり、参考係に魔女がいたりして、少し変である。淡々と昨日の続きのマイクロフィッシュを印刷してクラス出席のためロー・ビルディングへ向かう。
 3時からはナーサリーのハロウィーン・パーティ&パレイドである。私は失礼して、妻のみ出かけた。
 夜6時頃からいよいよ「Trick or Treat」が始まり、子どもだけの集団や、高校生くらいの集団、親に連れられた小さな子どもの集団などが次々に現れ、お菓子などをもらっていった。我が家は、7時に近所の日本人の方の家に呼ばれていたので、妻が2人の子どもを連れて出かけ、私が留守番をすることにした。留守番をしている間も、いろいろな子どもたちが入れ替わり、お菓子をもらいに来た。
 ところで、「Trick or Treat」をしてよい家かそうでないかは、家の前にジャコランタンがおいてあるかどうかで判別するようである。ジャコランタンが置いてなければ、お菓子はもらえないという暗黙の了解があるようで、我が家は小さいながらカボチャを入り口の横に置いておいたので、子どもたちがやってきた。帰宅後、上の子は、カボチャを置いてある家を目指して、妻とともに再び「出撃」していった。
 9時半頃、隣と下の子どもたちが「遠征」から帰ってきて、我が家に現れた。ハロウィーンは深夜まで続くらしいが、子どもたちを寝かせたいので、我が家はこれで終了にし、カボチャをとり込んだ。
 日本で、バレンタインデーが「チョコレート業界の陰謀」と陰口をたたかれることがあるが、こちらのハロウィーンでも、お菓子業界、コスチューム業界など関連業界と、スーパーマーケットなどがかなり潤っていることだろう。


2002年10月30日(水)晴れーマイクロフィッシュの印刷
 朝からメイン・ライブラリーに出かけ、マイクロフィッシュの印刷をした。私の研究テーマは比較的新しいものが多く、資料もペーパーか電子情報で手に入るものを使っているので、日本にいたときにマイクロフィッシュの印刷をしたことがなった。こちらでは、日本ではあまり手に入りそうもない資料がたくさんあるので、ついつい少し古めのテーマにも手を出している。そうしたら、いくつかの資料はマイクロフィッシュになっていたというわけである。
 最初、使い方を説明してもらったが、なかなか慣れず、はじめのうちは少し時間がかかったが、慣れてくると、ペースが上がり、かなりの枚数を印刷した。また、拡大、縮小、反転など、自由自在なのは結構よいかもしれない。ただし、フィルムを直接読めないのは不便極まりない。たしかに場所をとらないのはいいだろうが、結局、印刷しなければならないのはかなり不便ではある。


2002年10月29日(火)曇りー「男女共同参画?」
 火曜日は妻が夜のクラスに出ているので、夕食後、約3時間半にわたって2人の子どもを私が1人で見ている(妻の妹はまだ帰国せず、パリ滞在中)。
 下の子は、その間、絶えず「ママ、ママ、・・・・」といっている。この姿を見ると、いくら「男女共同参画」の社会だとはいえ、やはり父親と母親の役割の違いは本質的なものなのではないかと思えてくる。加えて、人類の発展の歴史は社会的分業の発展の歴史だといっても過言ではないはずだが、こと「子育て」については、そもそも分業されていたものを共同で行う方向を目指している。これは人類の歴史の中で逆行ではないのか(こんなことをいっても、とにかく私は、もう少し研究時間と読書の時間、および十分な睡眠時間がほしいだけなのです。別に他意はありません)。


2002年10月28日(月)曇りー1歳半検診
 夕方、下の子の1歳半検診に出かける。あわせて予防注射をうつ予定だったが、日本では必要のないものと日本に帰ってからうっても問題ないものだったので、結局、注射はやめにして、その後、マクドナルドによって、チャーチへ直行した。今日は上の子が行きたくないというので、私だけ出席。


2002年10月27日(日)晴れーフリントのハロウィーン
 車で1時間ほどのところでハロウィーンのイベントをやっているとのことで、出かけた。コスチュームを着ている人は入場料が少し安くなる。子どもは2人ともコスチュームを着ていった(下の子は、そもそも無料だが)。入場料を払い、まずイベント列車に乗った後、あとはひたすら「Trick or Treat」をして、お菓子やおもちゃをもらい続け、最後にアップル・サイダーとドーナッツが振舞われた。屋外のイベントであり、晴れたので、少し暖かくてよかった。
 子どもたちにお菓子類を配るアルバイトをしている男性から、日本では「Trick or Treat」をどういうのか尋ねられた。直訳してもしょうがないし、「トリック オア トリート」としかいいようがないだろう。もしかして、この人は昨日のウルトラマン・ティガを見たのだろうか。
 メジャー・リーグのワールド・シリーズはアナハイム・エンジェルスが優勝。ワイルド・カードからの優勝はすごい。新庄、残念。


2002年10月26日(土)曇りー誕生日とすき焼き
 今日のウルトラマン・ティガはハロウィーンを扱っていた。日本であのようにハロウィーンをやっているとは思えないのだが・・・。最初はアメリカ向けの吹き替えかと思った。
 近所の日本人の方の部屋で「すき焼きパーティ」があり、一家4人で参加させていただいた。半年以上は食べていない久しぶりのすき焼きは、おいしかった。
 そして、今日は妻の誕生日なので、ケーキを持参した。ちょうどハロウィーンが近いこともあり、ハロウィーンのデザインのケーキに妻の希望で「Happy 25th Birthday」と書いてもらった。ケーキを披露した瞬間、失笑が・・・・。同席した女性は、上の子に「本当はママはいくつ?」と尋ね、上の子が「ひ・み・つ」と答えると、全員が爆笑していた。


2002年10月25日(金)雨ー歯を大切に
 私は、アメリカに来てまもなく虫歯を発見して以来、昼食後にトイレで歯を磨いている。日本なら、話によるとOLは特に、昼食後の歯磨きを怠らないようだが(私も、日本にいるときは、昼食後、研究室で磨いていた)、こちらでは昼食後に歯を磨いている人を見たことがなかった。しかし、今日、初めてトイレで発見。話している言葉から、韓国人のようであった。
 本を一冊注文。ハードカバーが昨年の10月に出た本の普及版ペーパーバックである。日本ならハードカバーが出てから文庫になるまで最低でも3年くらいはかかるように思うが、こちらは1年で「文庫化」。早い。


2002年10月24日(木)曇りー反戦デモ
 近頃、学生や市民、加えてアラブ系の人々が「イラクと戦争をするな」という反戦デモをしている。また、キャンパス内にもそのようなメッセージがよく書かれているのを見るようになった。アフガニスタンの問題が終わり、アメリカの次の標的はイラクだといわれており、近頃、アメリカがいつイラクに攻撃をするかということもよくニュースでいっている。昨年の同時多発テロ以来、特にアメリカとアラブの緊張は高まっているといえようが、少なくとも私たちの帰国までは(ちょっと身勝手か?)戦争はしないでもらいたいものだ。
 近頃、妻はニュー・ヨークへ行きたいといっているが、オサマ・ビン・ラディンがニュー・ヨークを再び攻撃するといっているとニュースで報道されているから、やめようと説得しているところだ。


2002年10月23日(水)曇りーカナダ硬貨とハロウィーン・パーティ
 ミシガン州はカナダと接しているせいか、買い物をしたとき、おつりの中に、ごくたまにカナダの硬貨が混じっていることがある。今日、昼食を食べたとき、おつりの中にカナダの25セント硬貨が混じっていた。以前も、おつりの中にカナダの1セント硬貨が混じっていたことがあり、後で気づいてそのまま財布の中に入れていたが、いつの間にかなくなっていた。また、以前25セント硬貨が混じっていたときには、もうお目にかかれないかもしれないと思い、保存しておいた。いずれにしても、なぜアメリカのコインとカナダのコインは非常に似ているのだろうか。一見しただけでは、見間違えてしまう。何か意図があるのだろうか。
 カナダ・ドルは米ドルに比べ、少し安い。たとえば子どもが好きでよく買う「Clifford The Big Red Dog」の本は、定価が「$3.50 US $4.99 CAN」と表示されている。結局、米ドルはカナダドルに比べ、1.5倍ほどの価値があることになる。また、先日行ったマキノー・アイランドでは、カナダが近く、またカナダからの観光客も多いのか、$1 US = $2 CAN と表示している店もあった。これだと価値の差は2倍ということになる(ただし、為替の手数料を入れているとも考えられる)。
 ところで、日本で外国の通貨を日本円の代わりに使えば詐欺罪になるはずである(韓国ウオンを500円玉に偽造し、自販機からつり銭を盗むのは窃盗罪だが。この違いは、刑法の授業で扱われます)。しかし、今日のように、アメリカでは強制通用力のないカナダの硬貨が当然のように米ドルと同じ価値があるものとして使用されており、誰も異議を挟まない(実は、私は、今日、つり銭を受け取るときにカナダ・ドルの硬貨であることに気づいたが、そのまま受け取った)。この状態は、要するにお金とは使う人が価値を見出せばそれでよいのだということを如実にあらわしているように思われる(極端な話、信用さえあれば、貝殻でもよい)。お札はよい例で、元は紙切れ、それ自体に価値があるはずはないのに、皆が1ドルの価値があると扱えば1ドルだし、100ドルの価値があると扱えば、100ドルの価値があるのである。カナダの硬貨が当然に表示されている数字で米ドルと同じ価値があると皆が扱えば、その価値を持つことになる。ただし、おそらく意図的にカナダ・ドルを米ドルとして使用すれば、アメリカでも詐欺罪だろうから、今回も使うのはやめておこうか。それとも自然に財布からなくなるのを待つか。
 夕方、ナーサリーのハロウィーン・パーティがあった。上の子はパワー・レンジャーのパワー・ブルーのコスチューム、下の子はジャコランタンのコスチュームを着て出かけた。ところで、このところ下の子がまたまた夜よく起きる。だいたい12時くらいに1回、2時から3時くらいに1回、4時から6時くらい1回、その都度、冷たい水を飲ませ再び寝かせている。ということで、私は、慢性寝不足症候群になり、少し体調を崩してしまった(といっても、慢性的に眠いだけ)。今日は、ハロウィーン・パーティを欠席し、1人で家に残り、ゆっくりしていた。


2002年10月22日(火)曇りー写真
 以前、ロー・スクールのパンフレット(マガジンと書いてあるが、日本でいうパンフレットに違いない)用に撮った写真ができたと、係りの人が持ってきてくれた。好きなのを1枚あげるという。かなりの枚数を撮られていたが、笑っているのは数枚しかない。写真は大の苦手である。しかたがなく、これしかないというのをもらっておいた。また、前回のものをサンプルにくれた。
 フォードに車の修理に行った時、待ち時間に主に読み、少し残っていた、乃南アサ「凍える牙」(新潮文庫)(ノヴァイで買った古本の1冊)を読了。


2002年10月21日(月)曇りー暖房直る?とトップ・アドバンスト・クラス
 朝、弱いが暖房が出ていた。壊れていなかったのか。朝の気温は氷点下5度くらいであった。
 チャーチの英会話教室に妻も行くことになった。アメリカでは常時受付可のものが多く、この英会話クラスには毎週のように新入生が入ってくる。クラス分けのテストの結果、結局、私の予想通り、妻もトップ・アドバンスト・クラスに入った。これで私の電話係はなくなった訳だ。よかった、よかった。
 トップ・アドバンスト・クラスには他にも日本人がいる。席が隣になったので、その中の1人と初めて少し話をした(英語で)。若い女の子で、前から発音がネイティブに近いと思っていたら、高校生の時に父親についてアメリカに来て、もう9年も滞在しており、ここの大学のマスター・コースにいるそうだ。うまい英語に納得。私には英会話教室に来る必要もないだろうと思われるのだが、本人は、ボキャブラリーが不足しているので・・・、と説明していた。


2002年10月20日(日)晴れー天気はよいが・・・
 天気はよかったのだが、かなり寒い。下の子が風邪気味なので、外出は避け、家で過ごす。
 上の子は、残っていたウルトラマン・コスモスを視聴。結局、今日も3時間のウルトラマン・コスモス鑑賞会となった。
 夜、リビング・ルームの暖房が止まっているのを発見。一晩、様子を見ることに。


2002年10月19日(土)曇りーウルトラマン・コスモスとハロウィーンの準備
 「総集編」以降、日本で録画してもらっていたウルトラマン・コスモスのビデオが到着。ムサシの事件でもう日本ではお目にかかれないかと、頼んでおいたのだ。荷物は実は前日届いていたが、不在のため、不在通知が入り、朝、私が郵便局までとりに行った。上の子は、10時過ぎからまず総集編2話を堪能。ウルトラマン・ティガの放送時間が迫ったので、こちらの録画準備をして放送開始を待つ。
 11時30分からのウルトラマン・ティガを見た後、モールへ行く。子どもたちのハロウィーン用のコスチュームを見に行った。最初は、ディズニー・ストアでミッキーやプーさんなどを見たが、結局、マイヤーへ。上の子にはパワー・レンジャー(ガオ・レンジャー)のパワー・ブルー(上の子は黄色が好きなので、パワー・イエローを捜したが無かった)の衣装、下の子には、ジャコランタンの衣装を購入。これで、「Trick or Treat!」
 帰宅後、ウルトラマン・ネオスを2話と、ウルトラマン・コスモスをさらに2話視聴。今日だけで、ウルトラマンを3時間半見たことになる・・・。
 ところで、ウルトラマン・コスモスの総集編・最終回を見て、再びアメリカで放送されているのがコスモスでなくティガであることに納得した。コスモスは環境問題を扱っており、これだけでもアメリカ人には馴染めないと思ったが(アメリカは「超浪費社会」で、経済もこれでもっているのではと思いたくなる)、最終回では悪者「カオス・ヘッダー」に、いわゆる「話し合い」で帰ってもらってしまった。アメリカ人にはこの憲法9条の精神?は理解できないのではないか(アメリカ人が作った憲法であるにもかかわらず)。力には力で対抗するのがアメリカ流だから、おそらくコスモスの最終回をアメリカで放送すれば不満続出?だろう。アメリカでは悪者は正義の味方によってやっつけられなければならないのである。ということで、コスモスはアメリカでは放送されないような気がする。
 メジャー・リーグのワールド・シリーズが始まる。なんと新庄がスタメン。日本人初の出場。ただ、今年のワールド・シリーズが「西海岸シリーズ」になってしまい、こちらの時間と合わない(3時間の時差は結構大きい)。テレビを見ていると深夜になってしまう。また、Foxの10時からのニュースが必ずつぶれるのが痛い。


2002年10月18日(金)曇りのち雨ーペイパー・チェイス
 帰宅途中で書店に寄り、注文しておいたペイパー・チェイスのビデオを購入。少し古いが、ハーバード・ロー・スクールでの学生生活を描いたアメリカ映画である。授業風景は、日本で導入が予定されているロー・スクールの授業にも参考になるように思う。アメリカ留学経験のないロー・スクールの先生には一見の価値あり。
 寒くなった上、いよいよ冷たい雨も降り始めた。過ごしにくい季節になったものだ。予報では雪かもともいっていたが。


2002年10月17日(木)曇りーついに氷点下
 今朝の気温はついに氷点下となった。日本なら秋本番で一番過ごしやすい時かと思うが、こちらは真冬に突入。加えて、日の出の時間が朝8時頃では、どうしても調子が狂う。あと約1週間でサマー・タイムが終わり、タイム・チェンジとなるが、それでも1時間戻るだけだ。12月頃には、再び8時頃の日の出となるのだろう。
 下の子の熱は下がり、ナーサリーへ。私は今日はクラスがあるので、妻がフォードへ行くことにする。妻は待ち時間で近くのモールでパーマをかけた。時間が有効に使えてよかった。
 チャーチの英会話教室で強調されているイディオムの重要性を実感し、MSUBookstoreでイディオム辞典を購入。
 夕方、ビデオ「ペイパー・チェイス」が入荷したとの電話。
 夜、8時過ぎ、6月頃調子の悪かった煙探知機が再び誤作動。今週火曜日の朝5時半頃にも1回なったので、何とかしてもらおうとハウジングに電話する。6月に2回、たった今2回誤作動したというと、今すぐ交換に行くという返事であった。待っている間にも4回も誤作動でなった。子どもたちはけたたましい音に、怖がっている。30分以上は待っただろうか、職員が到着して交換を始めたが、いままでのものが極めて古い型らしく、新しいものの取り付け方がわからないようだ(そんなに古かったのか!)。一度、事務所に帰って再び現れ、何とか取り付けて帰っていった。その後、誤作動はしていない。
 今日も妻は、ハウジングへの電話を当然のように私にさせている・・・・。


2002年10月16日(水)晴れー修理代高し、下の子の熱高し
 朝、下の子が発熱している。最近、急にかなり寒くなったので、風邪を引いたようだ。ナーサリーを休ませる。
 上の子をナーサリーに送り、フォードへ行く。トランスミッション・オイルとパワーステアリング・オイルを換えるようにいわれ、さらに部品の交換のため、一晩置いていけといわれる。子どもの送り迎えがあるからできないといい、明日また来ることに。修理代が高い。
 上の子は、ガム作戦でナーサリーで泣かないようになっていたが、今日は泣いてしまったと正直にいい、ガムは1枚でいいといった。なんでも、おやつの前に手を洗ったかをきかれ、間違えてNoといってしまったので、少し怒られたらしい。私は、今でも否定疑問の際に、よくyesとnoを間違えてしまう。上の子のには、それならいいと、ガムをもう一枚あげた。
 夜、妻がヘアー・ドライアーを使っていると、ヒューズが飛んだ。一部の電灯と冷蔵庫が止まってしまった。一晩このままにしておくわけにもいかないので、ハウジングに電話し、すぐに来てもらって直してもらった。
 この頃、妻は、私がチャーチの英会話教室でトップ・アドバンスト・クラスにはいったことで、英会話関係のことを全部私にさせようとしている。今日も、ハウジングへの電話は当然に私にしろといって、何も動かない。困ったものだ。 


2002年10月15日(火)晴れー妻の妹、学会へ旅立つ
 妻の妹が学会報告のためパリへ旅立った。急遽、決まったそうである。といっても、ひとつ問題が生じた。妻の妹のビザはすでに切れており、IAPのみで滞在している。ビザの有効期限が切れても、有効なIAPがあれば、違法滞在にならない。ただし、一度、国外に出国してしまうと、アメリカへの再入国ができない。とういことで、彼女は、パリでビザを再取得する予定で出国したが、いつビザが取れるかわからない。したがって、帰国の予定は未定である。
 我々は、航空会社に電話し、帰りの飛行機の席の予約をした。いよいよ日本への帰国が近づいてきた。
 車のエンジンのあたりから、キーキーという音がし始める。ファン・ベルトのようだ。明日にでもフォードへ行くことにする。
 夕方近くの書店兼CDビデオ店で「ペイパー・チェイス」のビデオを注文。9ドル99セントであった。


2002年10月14日(月)晴れーコロンブス・デー
 今日は祝日のコロンブス・デーである。といっても、アメリカの祝日には大きく2種類あり、メモリアル・デーやレイバー・デーのようなメイン・ホリデーは本当の休みだが、コロンブス・デーは祝日だが休日でない(ただし、チャーチの英会話教室で聞いたところでは、南アメリカでは、盛大に祝われるとのことで、また、アメリカはコロンブス・デーを10月の第2月曜日としてしまったが、南アメリカでは本来のコロンブス・デーである10月12日を祝日としているそうである)。
 チャーチの英会話教室で一緒の中国人夫婦が以前日本に住んでいたことがあるといっていた。東大に留学していて、荒川区に住んでいたそうである。


2002年10月13日(日)曇り時々雪ーもう雪か!
 天気予報の通り、非常に寒い朝であった。ホテルで朝食を食べていると「日本の方ですか」と日本語で話しかけられた。なんでも夫婦でしばらく岡山県の学校で英語の教師をしていたそうだ。金沢へも行ったことがあり、魚と刺身がおいしかったといっていた。相手が日本語で話し、私が英語で話すという変な会話であった。
 9時半頃、ホテルを出て、鹿の牧場へいった。鹿を見るために1人3ドルとは高い入場料だったとしかいいようがない施設であった。屋外で鹿を見ているのは非常に寒いので、早々に切り上げ、帰途についた。まず、半島を結ぶ橋は、寒さのため凍結しているのか、車はパトカーの先導の下、ノロノロ運転をしていた。私は、スリップしないように非常に気をつけながら、渡りきった。しばらく走ると、今度は雪が吹雪のように降り始めた。幸い、気温がある程度高いせいか(といっても、零度に近かったように思うが)、高速道路で車が頻繁に走っているせいか、積もりはせず、スリップの危険はないようだった。こちらでは、雪が降ってもスタッドレス・タイヤは使わないそうで、いまからかなり不安である。雪の中をさらにしばらく走っていると、上の子が車内に蜂がいるのを発見。上の子は、蜂に刺されてから、蜂には極めて敏感になっており、運転者の私としても、蜂と一緒に高速道路を走るのは気が散る。そこで、次の出口でいったん高速道路を降り、路肩に車を停めて蜂を追い出そうとした。幸い、このとき、雪は小止みになっており、いったん全員が降りて窓を開けていると、蜂は出て行った。助かった。このとき、1台の車がすぐ横に停まり、地図を片手に婦人が降りてきてくれた。道に迷ったと思ったらしい。車の中に蜂がいるんですというと、あ、そうという感じで車に乗り込み行ってしまった。再び、高速道路を走り始め、ランシングが近づくにしたがって、晴れ間も出てきた。午後3時頃、無事帰宅。


2002年10月12日(土)曇り(朝、濃霧)−車のない島
 これから寒くなり、遠出もできなくなるだろうと、最後(の予定)の長距離ドライブに出かける。行き先は、ミシガン州の避暑地、マキナノー・アイランド(英語では、「Mackinac Island」であり、「マキナック・アイランド」というべきだと思うのだが、日本語のガイド・ブックに「マキノー・アイランド」と書いてあるから、一応こう表示しておく)である。イースト・ランシングからは車で高速道路を使って約4時間の道のりである。今日は、ウルトラマン・ティガは留守録にして、朝8時頃出かけたが、濃霧で視界が極めて悪い。高速道路を走っていても、前の車のテール・ランプが見えない位だ。10時半頃には霧も晴れ、レスト・エリアで1回休憩した後、何とか無事、最初の目的地のセント・イグナスに到着し、ホテルにチェック・インしてから、島に向かう船が出る波止場へ向かった。ちょうど1時30分の船に間に合い、16分の船旅となった。マキノー・アイランドは車が走っていないので有名な島である。移動は、馬車か自転車か人力車を使う。島に着いて、馬車での「島一周観光ツアー」をしようとチケット売り場に行ったが、すでに売り切れとのこと。がっかりしているのは我々だけではなく、他の人も同じだ。午後2時で売り切れとは! どうしようかと思案しながら、すでにチケットを買って馬車に乗るのを待っている人の列を眺めていると、どう見ても残っている馬車の席の方が待っている人よりも多い。妻は、しきりにまたチケットを売るのではないかといっている。そうこうするうちに、本当にチケットが再び売られている。急いで走っていったが、結局、タッチの差で我々の前の人で終わってしまった。いったん売り切れといっておいて、後で再び売るなんて、日本では暴動が起きないまでも、行政からの指導を受けるのではないか? 確かにこのようなことはアメリカでは日常茶飯事、担当者によっていうことが違うのも日常茶飯事だ。上の子がどうしても馬車に乗りたいというので、結局、タクシー(これも当然馬車)に乗って、バタフライ・ハウスへ行くことにした。金沢(近郊の、鶴来)にある「ふれあい昆虫館」のように室内を蝶が飛び回っており、上の子に加え、下の子もかなり楽しんでいた。その後、土産物屋に寄り、午後5時の船にのってセント・イグナスへ戻ったが、乗船中、どしゃ降りになり、雨の中、ホテルにたどり着いた。セント・イグナス(デイズ・イン泊)。


2002年10月11日(金)晴れーやはり故障が・・・
 妻が車を使っている際、車のエンジン警告ランプがつきっぱなしになったので、妻がディラーに修理に行った。まず検査のみの見積もりで70ドル程度、検査後は修理に約225ドル程度もかかったそうだ。やはりアメリカ車は故障が多いというのは本当だ。半年ですでに2回も修理している。先日、エンジン・オイルを換えたばかりでもある。中古車市場でも日本車のほうがかなり高い。こちらの人も日本車の性能のよいのを知っているからだ。
 空いた時間に少しずつ読んでいた短編集、北村薫「覆面作家は二人いる」(角川文庫)を読了。ノヴァイで買った古本のうちの1冊。


2002年10月10日(木)曇りー警察官もか!
 新聞によると、昨日の夜、隣町の警察官がイースト・ランシングで飲酒運転で逮捕されたそうである。停車を命じられたさい、当該警察官は、取り締まり警察官に対し、真っ先に警察官バッジを提示し、うまく逃れようとしたようであるが、おかまいなく逮捕された。
 確かにアメリカは車社会で、車がなくては移動できない。特に田舎のこのあたりでは、公共交通機関は貧弱である。「足がない」のは外で酒を飲んだ場合でも同様であるから、酒を飲んだ後、どうやって帰るのかと思っていたが、やっぱり車で帰っているのか?危険である。


2002年10月9日(水)晴れ−選挙のコマーシャル
 ミシガン州の州知事の選挙が近づくにしたがって、テレビで選挙用コマーシャルが流される頻度が増してきたように思う。なんだか、こちらのコマーシャルは中傷合戦のようで、日本のやり方に慣れている私としては非常に違和感がある。
 新聞によると、昨日、MSUの学生が自転車に乗って通りを横断中、車にはねられた(幸い、打撲で命に別状なし)。ただ、目撃者の証言から、車の側の信号は緑で、学生が赤で急に飛び出したため、車は避けようがなかったので、車の運転者に過失がないということが強調されている。確かに、自転車を含むこちらの歩行者の交通ルール無視は非常に危険である。日本のように、これで過失割合が5対5ということは決してなさそうである。ちなみに、新聞写真では、車のフロント・ガラスが粉々に砕けている。車の運転者は、事故にあった学生に対し損害賠償請求できる?


2002年10月8日(火)曇りーガムはもらった!
 火曜日は妻が夜のクラスに出ており、妻が出かけた後には、私はひきつづき1人で子どもたちに夕食を食べさせなければならなくなった。上の子が食事の途中でウルトラマン・ティガ・ガムを食べたいと言い出したので、後でご飯とおかずを全部食べる、食べなければ家にあるウルトラマン・ティガ・ガムを全部私がもらうという約束で、食べさせた。
 案の上、上の子は全部食べられなかったので、ウルトラマン・ティガ・ガムは、私のものになった。上の子は半泣きになっていた(当然、ガムを私が食べるつもりはないのだが)


2002年10月7日(月)晴れーフォール・ブレイク
 今週はちょうどフォール・セメスターの真ん中で、一週間、授業が休みになるフォール・ブレイクである。チャーチの英会話に行く途中、ビジネス・スクールの学生に尋ねると、ビジネス・スクールにはフォール・ブレイクはないとのことだった。妻の滞在先であるヒューマン・エコロジーにもないそうで、ロー・スクール独自の制度のようである。学生がいないと、ロー・ビルディングは極端に人が少なくなる(当たり前か)。
 フォール・ブレイクの制度は、学生の中間試験休み、兼、先生の採点期間なのだろうか。いずれにしても、日程がコミコミの日本の学年暦では実現は難しそうである。


2002年10月6日(日)晴れー子どもの遊び
 先日、車がないとのことで、一緒に買い物に付き合った家族の家に午後から遊びに行った。子供同士「戦いごっご」やボール遊びをして楽しんだ。夜は、食べ放題のお店を紹介しがてら、一緒に夕食をとった。


2002年10月5日(土)曇りーウルトラマン・ティガの時間変更とノヴァイで買い物
 例によってウルトラマン・ティガを見ていたが、突然、来週から午前11時30分から1回のみの放送になるといっている。9月14日に始まって4週目。日本なら、改変期でもなし、こんなに唐突に回数や時間を変更しないだろう。今まで、土曜日はウルトラマン・ティガが終わる午前10時30分までは自宅にいるのが恒例となっていたが、正午まで拘束されることになれば、土曜日は動きが取れない。さて、今後どうするか。
 今日は、ウルトラマン・ティガ終了後、Novi(ノヴァイ)まで買い物に行った。高速道路で1時間ほど。現在は、デトロイトはかなり治安が悪く、日本からの駐在員などは皆ノヴァイに住んでいるとのこと。日本人向けの店が多数ある。昼食は、うどんやへ行き、日本のスーパーマーケットで買い物をして戻った。価格は日本で買うのに比べ、2倍程度である。私は、店の隅で扱っている古本から3冊買って帰った。いずれも1冊2ドル程度、日本の本屋がほとんどないミシガン州では助かる。上の子は、例によって、ウルトラマン・ティガ・ガム、アンパンマンのおもちゃ付ラムネ、幼稚園10月号を購入し、満足して帰った。明日もノヴァイに行きたいといっている。そう毎日来れるか!


2002年10月4日(金)雨ーガム作戦、相変わらず効を奏す
 上の子は、相変わらず、ガムのためか?泣かずにナーサリーへ行っている。がんばれ、がんばれ!


2002年10月3日(木)雨ーメチャクチャ寒くなる
 メチャクチャ寒くなる。日本ならちょうど運動会の季節だというのに、真冬になったようだ。さすがに雪はまだ降っていないが。
 今日は、クラスの中間テストの日だが、自主的に休んだ。


2002年10月2日(水)雨ーガム作戦、効を奏す
 上の子は、ガム欲しさからか、朝、がんばって泣かないようになった。ガムのためだと思うと、少々情けないのだが、泣くよりはいいだろう。


2002年10月1日(火)晴れーしまった、大変だ!助かった
 こちらではオフィスがないので、図書館で勉強している。すると、大学にいる間、近くに電話がないことになるので、緊急連絡用に4月に携帯電話を買った。ただし、通常のプランでは1年以上継続契約しなければ違約金を取られるので、プリペイド式の携帯電話にしている。これは、プリペイドのカードを購入しておき、自分でアクティヴェイトするのだが、45日で期限切れとなり、ただし、45日以内にさらにお金をたすと前のお金が持ち越される方式になっている。前回お金をたしたときから数えて、昨日が45日目であったにもかかわらず、お金をたすのを忘れてしまったのに、大学に来てから、今朝気づいた。私は、ほとんど電話を使わないので、いままでたしたお金がかなり溜まっている。あわてて電話を使ってみると、普通に使えるではないか。今日は、クラスがあるのですぐに帰るわけにもいかないが、少し安心して、授業の予習をした。しばらくして、確認のためもう一度電話を使ってみると、もう使えない。困った、やっぱり期限切れかと、諦めて授業に向かった。
 1時30分に授業終了。そのまま食事をして家に帰ることにし、家で急いでお金をたすことにした。まさかこれだけで、解約にはなっていまいと思ったが、たした後のアカウントを聞くと、なぜか前回までの分が持ち越されている。なぜだか知らないが、助かった。今後は、きちんと継続しよう。
 上の子がナーサリーに行くのをかなりいやがるので、妻が食べ物で釣ることにしたようだ。こちらでウルトラマン・ティガが始まるのに合わせて、「ウルトラマン・ティガ・ガム」が売られるようになり、上の子は現在それをかなり気に入っている。朝、泣かなければ1枚、お昼寝の時間に泣かなければもう1枚、今日は火曜日なので妻が夜のクラスに出ているが、妻が出かけてから妻の妹が手伝いに来るまで泣かなければもう1枚と約束した。結果、上の子は、3枚ガムを食べた。


メニューへ戻る
ミシガン日記表紙へ戻る